Midsummer Fires 8

IG, DIG, DIG!
A TINY DOLL.





 澄んだ虫の声が生あたたかい夜の空気を流れていく。さして虫に暮らしよいようにも思えぬ町の中心部だが、民家の窓辺に並べられた植木鉢にでも夏の虫が隠れているのかもしれなかった。あるいは、この目の前の広場をぐるりと取り巻く植木と芝生のなかで、そのはかない一生を終える羽虫も多いのだろうか。
 旧・ボローハ通り――いまは大臣ブルックマンの弟に授けられた称号を取ったとかいう<名誉将校広場>という名に改称されたが――は、大焚き火の会場であるという<西の広場>から少し離れた場所にある。行きに<西の広場>のそばを通り過ぎたデューラムによれば、薪の周囲にはもう数百という人々が集まって、深夜の点火を待っているということだった。だが彼らが立つここボローハ通りは、いつも以上に人気もなく静まりかえっている。
 「衛兵に見つからないといいんだけど」アルマは溜息をついた。
 「大丈夫だろ。さすがに祭りの前日じゃ、衛兵の連中だって休んでるんじゃないか?」デューラムがあっけらかんとそう言ったが、あまり根拠のある発言とは聞こえなかった。
 アルマは溜息をついてから、隣に立つダグラスに、ツァランは、と尋ねた。本日、夏至の夜、申し合わせたとおり一同はボローハ通りの入り口に集まったのだったが、そのなかにあの饒舌な男の姿が見えなかったからである。
 「さあなあ、昼間にふらっと出かけちまったままだ。どこかで飲み歩いてるんじゃねえのか」肩にかついでいた巨大なスコップを地面に下ろしつつダグラスは答えた。「まあいいだろう、どうせ今日は肉体労働だ。あいつがいたって役に立ちゃしない。それにしても、そろそろ夜も遅いぜ。始めないのか」
 「問題はこの広場のどこを掘るかってことじゃねえのか」そう言ったのは、やはりスコップを手にしたイザクである。「広場全部を掘り返してたら一年経っても終わらねえぜ」
 その通りだった。通り二つ分を潰して作られた細長い広場は、子どもであれば優に駆けっこ合戦ができるくらいの大きさがある。加えて、地面を覆う石畳はまだ敷き詰められて間もないがために、整然と隙間もなく並んでおり、最初のひとつをひっくり返すのも一筋縄では行かぬ作業と見えた。
 暗に問いを向けられたことを悟ったのか、デューラムは暗い広場をぐるりと見渡し、むうと唸った。数日前に場の流れにまかせてここを掘ろうと言い出したときには、広場の大きさなど考えてもいなかったのだろう。眉を寄せて頭の後ろあたりをがりがりと掻くと、デューラムは彼ら四人の背後にぼうと突っ立っていたジョンを振り向いた。「おまえんち、どのへんだ?」
 「そう言われても」ジョンはもごもごと口の中で答えた。先日のデューラムの熱烈な説得に圧されて今日も仕方なく出てきた、といったふうで、つるみ慣れない四人の中に混じっていかにも落ち着かない様子である。
 「……この前言っただろう、全部更地になっちまって、自分の家もガキの墓もどこがどこだかわからなくなっちまったって。まあ、どっちかって言われりゃあ……」そう言うと、あいまいな動作で広場の一角を指さす。
「こっちよりゃあ、あっちのほうかも知れないが」
 アルマは首をかしげた。「今日鬼火が出てくれてたらねえ。その下を掘ればよかったんでしょうけど」
 「それだ!」
 なんとはなしに言った軽口に予想外に大きくデューラムが反応したので、アルマはぎょっとした。だが彼女が口を開く間もなく、デューラムは立て続けに、「ダグラス、おまえ鬼火を見てるんじゃないか。どこに飛んでたのかおぼえてないか?」
 詰問され、ダグラスは眉を寄せた。「ちょっと待て……いやどうだったかな。この広場だったのはたしかだが……うん、言われてみれば、あの池の近くだったかな。最初、酔っ払いがランプ片手にしゃがんで水でも飲もうとしてるかと思ったのをおぼえてる」
 見れば、ジョンがあいまいに指さしたあたりの区画にたしかに小さな池がしつらえている。意気込んだデューラムが、よし行くぞと言うとそちらに向かう。
 「ちょっと、ちょっと待って」アルマは慌てた。「だって、鬼火……鬼火よ」
 鬼火だからなんなのか、自分でもよくわからなくなってアルマは口を閉じた。だって迷信でしょうと続けることを許さない何かを、他のみなに――否、おそらく自分もまた加わっている流れのようなものに――漠然と感じ取ったからだった。何かすべてが転倒しているのではないかと、そんな気がした。だが、うまく何事かを言葉にする前に彼女以外の四人はさっさと池のほうに歩いて行ってしまったので、アルマも仕方なくそれに従うほかないのだった。
 木立に囲まれた広場は、周囲の家々の窓の灯りも届かない真っ暗闇だった。花壇の横にしつらえられた小さな池の表面は、夏の気温にさらされて濁っており、その表面がかすかな夜の光を反射してぬらりぬらりと光っている。その横に敷き詰められた石畳には、他の場所と同様これといった取っかかりを見つけることもできなかった。デューラムがなかばやけっぱちにええいと呟くと、池のすぐそばの石畳のひとつに手をかける。「ほら、ノミを貸せ、イザク」
 一同は苦労しつついくつかの石畳をひっくり返した。のぞいた黒い土を少し掘り起こし、さらにまた石畳をひっくり返しては掘り進めるということを繰り返す。人目に付かぬようにと、蝋燭もカンテラも、灯りは何ひとつともしていない。星明かりだけが照らす石畳の下の土はただひたすらに黒く、ふだん目にする土とはまったく異質に見えた。凹凸もうかがえぬその黒一色を一同はただ黙々と掘り進め、穴の横にのけられた闇土の山が刻一刻と大きさを増していった。
 男たちのむき出しの腕はしだいに汗を帯び、夜の青い光を反射するようになる。自分の額からも流れ落ちてくる汗を、手を休めてアルマはぬぐった。
 ――いったいぜんたい、と彼女は頭の中で呟きながらスコップを無明の地深く振り下ろす。むぐりと柔らかい手応えがあるが、そのわりにスコップは土の中に沈み込んでいかぬのだ。掬いあげた重たい一塊の土をどさりと土山の上に積み重ねる。
 ――わたしたちは何をやっているのだろう? まったくもって、これは砂山のなかから針を探すような愚行にすぎないのではないか。一帯の家をすべて取りつぶすほどの手入れがなされたのに、たったひとりの胎児のための手作りの小さな棺が残されているなんて、そんなことがありうるものだろうか。それに棺がもし見つからなかったら、われわれはいつまでこの作業を続けるというのだろう?
 そもそも、鬼火がジョンの死んだ子どもの魂で、数年も昔に埋葬された自分の棺の上を飛び回っているなどという話を、この場のみなが心底信じているはずがない。ジョン本人とて、あの鬼火が自分の子であると、はたして心の底から信じているかといえば疑わしい。だからデューラムが棺を掘り出そうと言ったとき、アルマは少なからず驚いたのだった。それが根拠もない噂話と迷信とを素朴にも信じこんだがゆえの台詞ではないことを、アルマは漠然と悟っていた。独特の真実味と質感のようなものを、彼女もまたジョンの話に感じ取っていたからである。だからこそ反対はできなかった。それでも、あの日の彼の語り口と、自分たちがいまこうして馬鹿正直に広場の真ん中に黒土の山を作り上げていることとのあいだには、どうも滑稽なずれがあるような気がしてならないのだった。
 実のところエーリーンの話を聞いているときも、ダグラスとツァランの話を聞いているときも、鬼火が実在するのかどうかなど、アルマはまともに考えていなかったのだ。真偽のほども重要でない世間話、軽口、噂話の一貫として話の種にしていただけである。それはほかの三人も同様のはずだった。だがいまはどうだろう。彼らは何ともしれないあやふやな感情に突き動かされ、あるかもわからない棺を探して一面の石畳をひっくり返している。そう、数日前には単なる余興の噂話にすぎなかったものが、いつのまにやら彼らが追い求めるなにがしか、彼らのなかで奇妙な実在性をもつ奇怪ななにがしかに、成長を遂げてしまったのだった。
 ばかばかしい、という数日前のジョンの言葉をアルマは思い出した。ばかげてる。そしておそらくこの瞬間も、当のジョンがそれをいちばんよく知っていた。だとしたら彼が何か口を開くまで、おそらくアルマに言うべきことは何もないのだ。
 「アルマ?」
 名を呼ばれて、アルマはわれに返った。「はい」
 「大丈夫か、だいぶ疲れているみたいだけど。少し休めよ」
 デューラムが穴のきわに立って、彼女の顔をのぞきこんでいる。アルマは微笑して大丈夫と答え、それから息をついた。「そうね、少し休みます。何か飲み物でも持ってくるわ」
 彼女が広場を抜けだし、近隣の酒場で残り物の林檎酒と茹でじゃがとを仕入れて帰ってくると、ダグラスとデューラムが歓声をあげて出迎えた。あてどもない、いつ終わるとも知れぬ作業に対する倦怠感、あるいは焦りを感じていたのはアルマだけではなかったのだろう。一時休憩ということで穴から這いだしてきた一同は、広場の地面にぽっかりと開いた大穴を横目で眺めながら、汗に濡れた首筋をぬぐい、大瓶の林檎酒を回し飲んで喉の渇きをいやした。ブルックマン大臣の弟をかたどったとかいう彫像が、少し離れた場所にぽつんと立っている。建立されたばかりのころに彫像に珍妙な衣装を着せたり落書きをしたりする悪戯がめだったというので、現在はその彫像の周囲はとがった針つきの網にくまなく覆われている。その厳重な警戒と、こちらに尻を向けて闇夜にひとりポーズをとる彫像のありさまはどことなくアンバランスで、広場の白々しさをいっそう増していた。
 「なかなか出てこんなあ」ダグラスが首からぶら下げた手ぬぐいで顔をぬぐいながらそう言った。土まみれになった手を同じ布でざっと拭いてから、茹でじゃがの大きいのに一口かぶりつく。「まあ、考えてみりゃあ、しらみつぶしに探すとなると一晩じゃすまない作業だったのかもしれんな。広場はでかいし、棺は赤子の大きさだ」
 そうね、とアルマは溜息をついて同意した。
 そのとき、重厚な響きがごおんとひとつ夜空に尾をひいて鳴りわたった。鐘楼の鐘である。ヘプタルク大寺院は王宮のそば、すなわち市壁のなかでもボローハ通りとは反対側の町並みに建っていたが、一日六回の鐘の音は、いつも市壁のすみずみまで響きわたり、町の民のときを等しく刻むのだった。噂によれば、大寺院が建立してこのかた数百年だか千年だかのあいだ、その鐘が鳴らなかった日は両の手で数えられるほどしかないのだという。今日のような祭りの日にあっても、寺院の修行僧は粛々と、常とも変わらぬ勤行のときを送っていると見えた。
 「深夜だ」
 ジョンが言った。「……頃合いだ。ありがとうよ。このあたりで終わりにしよう」
 デューラムが唸って地面の穴を眺めた。次の瞬間にスコップの先が棺の木にこつんと当たるかも知れないと、彼は信じていたのだろう。そういう青年である。
 ダグラスがやれやれと息をつく。「もう少しやってもいいんだが、土を埋め直す時間もいるし、おまえがいいというならここまでにするか。――だがそのガキも、自分のために親父が汗を流したと知れば文句は言わないだろうよ」
 「待て」
 穴から声がした。
 イザクである。少し休んだら、というアルマの声にうんと一言答えたきり、穴のなかから出てくる様子も見せなかった彼は、えんえんと穴を掘り進めていたらしかった。
 一瞬の間をおいて、まっさきに駆け寄ったのはデューラムだった。「見つけたのか」
 「何か板のようなものに当たったな。もうかなり木が腐りかけてて、なんだかわからなくなってるが」
 アルマが穴のへりからのぞきこむと、その中でしゃがみこんだイザクは、足元の土をスコップの柄で丁寧に払いのけているところだった。デューラムがふところから蝋燭と火打袋を取り出すと、何度か失敗しつつも火をつける。彼はイザクの横にすべりおりると、その“木の板”のあたりに光を掲げた。
 そこにはたしかに何かが埋もれていた。土にまみれており、またイザクが言ったとおり腐りかけているということもあってか、上にいるアルマにはその形も判然とはしなかった。だが箱と言われればたしかに箱かもしれない。イザクは土をかきわけ、その上面をあらわにした。デューラムが上を見上げる。「ジョン」
 ジョンは少し離れた場所で目を見開いて一同を見つめていたが、よろりと身体を傾けるようにして穴の近くに歩み寄った。しゃがみこみ、穴を見下ろして、彼は呻きとも吐息ともつかぬ声を喉の奥に響かせた。
 「これか、あんたの子どもの棺」
 「わからん」とジョンは答えた。「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。大きさはちょうどそれくらいだった。だが、まさか残っているなんてことが……」
 「確かめるか」
 デューラムのその言葉の意図が、まぢかに寄ってその目で確認するということなのか、木箱を開くということなのか、どちらかは曖昧だった。ジョンはふたたび呻き、じっと木箱を見下ろした。皮膚の下に隠れていたやわらかな部分が表に丸出しになったようなその表情はアルマはぎくりとさせた。思わず彼の顔から目をそらし、穴の中に視線を戻す。
 「いや、いい」
 しばらくの間ののちに、ジョンはかすれた声でそう言った。「中を開けるのは忍びない。それに――たぶん、それなんだろう。今夜出てきたってことは、たぶん、それがそうなんだ」
 ジョンは懐をまさぐった。ズボンのポケットから出てきた手に乗っていたのは、小さな熊の人形だった。古靴下か肌着か、二枚の古布を縫い合わせて綿をつめただけの、とても単純な作りと見える。ごくわずかに均整のずれた白ボタンの目の下で、鼻と口の刺繍がにっこりと微笑んでいた。ジョンのいかつい大きな手のひらの上で、その人形の素人づくりらしい愛らしさは奇妙にアンバランスだった。
 ジョンは少しのあいだその人形を眺めていた。それから穴のなかに滑り降りてかがみこむと、木箱の上に人形を横たえた。
 全員が上に上がってくると、一同は土を穴に戻す作業を開始した。地面を掘り進める作業のときは、みなの気をまぎらわすように小声で冗談や軽口を言い続けていたデューラムとダグラスも、いまとなってはまったく口を開かなかった。その沈黙のなか、遠くから陽気な歓声や音楽がかすかに聞こえていた。そろそろ<西の広場>で焚き火が始まったと見えた。先ほど作り上げたばかりの土の山を地中に黙々と戻していく五人のはるか上で、星の光だけが変わりなく夜空にまたたいていた。
 穴を埋め、石畳を元に戻すのは、逆の行程よりもずっと短い時間で済んだ。一同は重い石を元の通り地面にはめ込み、表面の土をあらかた払いのけ、カモフラージュのために池の水を周囲に撒き散らした。注意して誰かが見れば、その場で地面が掘り起こされたことはすぐにわかるだろう。だが、今夜さえ済んでしまえば、それを疑う者がいたとてさして問題はない。
 「子供の名前はなんて言った?」
 ぼんやりと地面を見つめたまま、デューラムが尋ねる。
 「生まれてきてもいないんだ。考えちゃいなかったさ」
 いったんそう答えてから、ジョンは小声で続けた。「ああ……だが女房は、もし男の子だったら、親子そろってジョンなんてのもいいわね、なんて言ってやがったな」
 何かがひっかかって、アルマはジョンの顔を見た。なぜかツァランの顔が思い浮かぶ。
 何が気になったのだ?
 ――寺院の正式見解では殉教者ヤンの聖誕祭だとされているようですが、――
 「……あれ、じゃあ、ちょっと待って」と、アルマは破顔した。「……今日と明日のヘプタルクのお祭りって、あなたと子どものお誕生祝いなんだ。たしか夏至のお祭りは聖人ヤンのゆかりだって、ツァランが……。ヤンとジョンって、きっと両方ともその聖人から取られた名前ですよ。ジョンっていう名前をこの地方の古い読み方で読むと、ヤンになるんです」
 三人はぽかんとした顔で彼女を見つめ返してきた。しばしあってデューラムが笑い出す。
 「……そうか、そりゃあいいや!」
 「じゃ、今夜は寺院も町の連中も、ヘプタルク中が大焚き火を燃やしておまえの子どもの誕生を祝ってるってわけだ」とダグラスも快活に、「じゃあ、おれたちも焚き火を見にいかなきゃならないな!」
 そう言うと、彼はジョンの背中をばしんと叩いて歩き出した。笑顔のデューラムがそれにつづく。イザクは肩をすくめてスコップを担ぎ上げると、わずかに振り向いて言った。「来ないのか」
 振り向けば、その場に立ちつくしたジョンの顔から先ほどの憂いはもう消えていた。彼はただ口をあんぐりと開けて、<西の広場>へと向かう四人の背中を眺めていた。まるでたったいま妖物に化かされたという、まさにそんな表情だった。






 
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