Midsummer Fires 3

ONFIRES.
MINISTER "NASTY" BROOKEMAN.





 店を閉め、戸締まりをして外に出ると、空はまだ明るかった。すでに夕飯も少し遅めかという時刻、すなわち春や秋ならすっかり暗くなっている時刻である。西のかなたに沈もうとする太陽が、建物の影をそこここに長く落とし、光と闇の直線が複雑怪奇に絡み合う街の光景を作り出していた。やはり同じように長い影を足の後ろになびかせながら、日中よりも深みを増した群青の空の下を、三人は歩いた。
 今日の行き先はふだん彼らが行きつけにしている酒場<まだらの竜>亭ではない。なんでも彼らの仲間の一人のダグラスが、少し離れた繁華街の近くで用事を済ませた後だとかいうので、今日ばかりは一同もその近くの店に集まることになったのだそうだ。
 その繁華街はよく言えば活気に満ちた、悪く言えばごみごみしているので知られた場所だった。悪名高い盗賊団の元首領が隠居しているとか、古井戸の底に霧色の衣が眠っているとか、溶岩城の邪龍のひものが隠されているだとか、きてれつな噂が出てくるのは市壁のなかでもたいていこの場所である。アルマはあまり足を踏み入れることがなかったが、店に先に来ているというダグラスとツァランの二人は、この地域によく出入りしているとのことだった。
 ――そういえば、火の玉が出るっていうボローハ通りもこのあたりだな。
 そんなことを考えながら、アルマは前を行く二人のあとに続いて酒場の扉をくぐった。
 とたん、熱気と喧噪とがまるでそれ自体の圧力をもっているかのように、うわんと顔に押し寄せた。一瞬気圧され入り口に立ちつくすアルマだったが、ごった返す人びとの向こうで、奥のテーブルに座る大きな影が手をあげるのが見えた。明るい茶色の髪と髭の、人なつこい笑顔の大男――仲間のダグラスである。見れば、その向かいにはいつもの通り彼の相棒が座っているのだった。いたいた、と呟くとデューラムがそちらに足を向ける。
 「これ何?」ダグラスの隣の椅子に腰かけようとして、アルマはそこにすでに鎮座していた大きな布包みに目を見張った。
 「バグパイプさ」ダグラスは答えると、その包みを膝の上に持ち上げた。粗織りの厚い布をよりわける。「見たことないか?」
 「バグパイプ? 楽器なの?」
 中から登場した奇妙な物体を見て、アルマは目を丸くした。こっくりした色合いの長短何本もの木管――それじたいはアルマもよく目にする木管の笛と大差ない。おかしなのは、その木管の根っ子にある大きな革袋だった。革袋から幾本もの木管があちこちに向かって生えているのだ。さらに革袋の横にはポンプのような物体が繋がっており、全体としては異界の生物じみた奇妙な形状だった。
 「はじめて見ました。あなたが吹くの?」
 ダグラスは快活に笑った。「たまに太鼓をやらされることもあるがな、十八番(おはこ)はこっちだ」
 「こいつのパイプの腕は、こう見えても、まあちょっとしたものなのですよ」と、向かいに座る相棒・ツァランが口を出す。真夏も近いというのに、今日もなぜだかフード付きの外套をまとっている。強すぎる熱と光から体を守るためには、肌を露出するよりゆったりとした衣服で体を覆った方がよいというのが彼の持論らしかったが、なぜ店内でも外套を着たままなのかは不明だった。だが、そのあたりを突っ込めば夜が明けても終わらない演説が始まりそうなので、アルマはそれ以上質問を重ねるのを止めにしていた。
 彼女のそんな思惑を知ってか知らずか、ツァランはおだやかに微笑して、「こいつは音痴のくせに、意外なところに意外な特技があるのです。どぶろく作りもそうだ。料理のほうはたまに大失敗するがな」
 「うるせえ。妙ちきりんな薬と酒とあへんで舌の麻痺したおまえに料理の何がわかるってんだ」
 アルマはぎょっとしてツァランを見た。あへんはヘプタルクでは摂取も取引も禁じられているはずである。確かにその禁令は表向きだけのことで、日が沈んだ後に少し裏道に入れば何人ものあへん売りに出くわすけれども……。しかし、視線を向けられた当の本人は薄い色の目をにやにやと歪めているばかりである。
 アルマは溜息をついた。空いた椅子に腰かけつつ、「昼間太鼓の音が聞こえてたけど、じゃあ、あれもお祭りの準備の一貫なのね」
 「ああ、夏至の日には、ちょっとした行進があってな。太鼓だのパイプだの、らっぱだの横笛だのを吹く奴らが街中を練り歩く」と、ダグラス。「まあ、おれも付き合いでな、その行列でこいつを鳴らすことになってる。そうか、アルマは見たことがなかったか。じゃあもしかして、大焚き火(ボンファイア)も見たことないか?」
 「ボンファイア?」
 「夏至の前の夜に大きな焚き火をやるんだ。家くらいあるような」三人分の林檎酒(サイダー)を運んできたデューラムが、ジョッキをテーブルに置きつつ横から説明する。「一年のうちに出たいらんものを燃やしたり、その焚き火のまわりで音楽をやったり踊りをやったりするんだ。けっこう景気がいいぜ、おれは好きだな……ほら、今日ここに来る途中に、西の広場の真ん中で薪が山になってるのを見なかったか?」
 <西の広場>は、東西南北および都中央と、ヘプタルクの市壁の中に五つある大広場の一つだ。そういえばふだんは見かけない木材の山が広場の中心にこんもりと作られていたのを、近くを通り過ぎたときにちらりと目にした気がする。あれは焚き火のためだったの、とアルマは合点する。いったい何に使うのやらと不思議に思っていたのだ。
 「以前いた地域で、たしか新年にそういう……大きな焚き火を見たことがあるけど、このへんだと夏至にあるのね」
 「さすがに各地を旅してきただけあって、いろいろな行事をご存知ですね、アルマ」ツァランがいんぎんな口調で言う。
 「おっしゃる通り、年中行事としての巨大な焚き火は各所で見られるようです。新年のものは、おそらく一年に溜まった穢れを払い落とし、まっさらな清い状態で新しい一年を始めようという理念がある……とかかな」
 「どうだったかなあ……」アルマは林檎酒のジョッキに口をつける。ぴりっとした辛口の刺激とさわやかな酸味とが蒸し暑い夕べに心地よい。「このあたりのは別の由来なの?」
 「ふむ」ツァランは顎をさすった。「寺院の正式見解では殉教者ヤンの聖誕祭だとされているようですが、じっさいにはもっと古い起源があると思いますね。そもそも、夏至だの冬至だの、秋分春分だのの時期に催される祭りは、概して原始的で素朴な季節の感覚と結びついた祝祭なのです。ヘプタルクの焚き火は、一説によれば邪霊を追い払う火のようだ。夏至は異界の門が開き、人に害なす邪霊がこの世を訪れる日なのです。――『真夏の夜の夢』という劇を知りませんか」
 聞き覚えがあった。「夏の日の夜に、いたずらな妖精たちが舞い踊ってやっかいな色恋沙汰をあちこちに引き起こすっていう、あれ?」
 「あー、それなら俺も知ってるぞ」ダグラスが口ひげについたエールの泡を拭いながら、「小さい頃に旅の一座が町中で劇をやってるのを見たことがあるぜ。高慢ちきでわがままな妖精の女王が媚薬でめろめろになる奴だろう。あの場面でえらく笑ったもんだ。邪霊ってよりはお祭り騒ぎの大好きな奴らって印象だったがなあ」
 「まあ、あれは劇作家の妖精像がずいぶん楽観的だったんだろうがな。ともかく、あれが『真夏の夜』なのは、人ならぬ者が夏至の夜に飛び回るという、連綿と伝えられ信じられてきた伝統の上にあるのだぜ。夏至の焚き火はそうした民間信仰につながっているわけだ――短い夜の薄闇にまぎれて跳梁跋扈する異形のものどもが、人間たちの生活圏内に入り込まないよう、大火で追い払うというわけだな」
 「はあ、あの焚き火に邪霊を追い払うなんて謂われがあったのか」デューラムがふうんと呟きつつ林檎酒を啜る。「単に夏の一番暑い日に、こう、ぱあっと火でも燃やして好きなだけ踊って、すっきりしようって趣旨なのかと思ってたぜ」
 「まあ祝祭だの儀礼だのの起源なんていうのは、意味があってなきが如しだからな。きみの言ったようなすっきり機能のほうが、現在では重要なんだろう」
 そう言って微笑したツァランを、ダグラスが横目でじろりと睨む。「しかしまあ、すっきりしたくなるのはわからんでもないが、ハメをはずすのもほどほどにしとかんと、こいつのように目に青あざを作ることになるぜ!」
 デューラムが違いないや、と笑った。
 アルマがきょとんとしていると、ダグラスがわざとらしく耳打ちをしてきた。「こいつは去年、大臣のヒトガタを焚き火のなかに放り込んで喜んでる間に、たまたま居合わせた街の警備兵にこっぴどく殴られてるんだ」
 アルマは呆れてぽかんと口を開いた。「またいったいなんでそんなことを」
 「あれは運が悪かったなあ。あのへんはふだんそんなに警備兵が入り込まないはずなんだが」ツァランは肩をすくめると、アルマに向かって自分の口元あたりを指で示してみせた。見れば、ひっつれたような白っぽい傷跡が、唇のすぐ横の土気色の肌にうっすらと走っている。
 「……ほら、まだ跡が残っているでしょう。図体のでかいのにガッツリ殴り飛ばされた。まあ、武勲というやつです」
 「なにが武勲だ」ダグラスがうさんくさげに横やりを入れる。「一発やり返したならまだしも、おまえがひっくり返ってるあいだに、やつは肩をいからせて行っちまっただろうが」
 「そんなことを言うなら、おまえが代わりにやり返してやればよかったんだ。その場にいたくせに、この薄情者が」
 「馬鹿を言え。警備兵を殴ろうものならすぐにお縄だぜ!」デューラムが呆れかえった様子で口を挟む。「……しかしおまえなあ、ツァラン、慎重なのかガキなのか本当にわからない奴だな。十四や十五の悪ガキじゃあるまいし」
 「いやはや、ガキっぽいとは心外な。ぼくとて日常ならば、いかにウィリアム・ブルックマンがヘプタルクの歴史上まれにみる阿呆大臣といえども、街頭でそいつのヒトガタを燃やしたりなぞするものか。だが、そもそも祭りというのは既存の権威を堂々と転覆するための行事でもあるのだぜ。堅固な身分制のヒエアルキィが、年に数度、祭りのあいだ、儀式的にひっくりかえる。新年の祭りには道化王が出るだろう? 道化に王の衣装を着せて、でかい行進の先頭に立たせて民衆が街を練り歩く、あれだ。その道化王に馬鹿なことをやらせ、さしてわけもなく日頃ふんぞり返ってる王様だのお貴族様だのをそうして虚仮(こけ)にして笑ってやって、日頃のうっぷんを晴らすというのが、あの祭りのひとつの役目であるわけだ。だとすれば似たようなことを夏祭りでやっても別にかまわないだろう」
 よくもこう、詭弁臭さと説得力が絶妙のバランスを保った説明が淀みなく口から流れ出てくるものだ。アルマは呆れつつも感心したが、それでも異論を唱えないわけにはいかなかった。
 「……まあそれは、わけもなくふんぞり返ってるお貴族様はいるんでしょうけど、みんながみんなそんな人たちばかりでもないでしょうに。責任のある仕事をしてる人だっているわけでしょう」
 「いまの王様だの女王様だのはわりとまともって話じゃなかったか?」と、デューラム。「何代だか前の王に比べりゃ月とすっぽんって聞くけどな」
 「まあね」ツァランはちびちびと自分の杯をなめた。テーブルに漂う香りからすると、どうもウィスキーらしい。「……だからぼくも現王と王妃のヒトガタを燃やすようなことはしない。だがブルックマンはひどいからな。奴がボローハ通りに何をしたか知っていますか? やつの弟が帝国務めをしてるんだが、そこでりっぱな業績をあげただとかなんとかで、ボローハ通りの真ん中にその彫像を建てるとか言い出した」
 帝国――と言えば、かの西の大帝国のことだろう。大陸の三分の一を領土に抱えるとも言われる大国で、険しい山脈をあいだに挟んでいるとはいえ、ヘプタルクもその支配力や影響力からは逃れ得ない位置にある。ヘプタルクやその近隣諸国の王家や貴族社会では、帝国の名家に娘を嫁がせたり、帝国の議会や軍で出世することを通じて自家の地位を強化しようとする行いが珍しくない。
 「まあなあ、確かにあれはひどかった」と、ダグラスが太い腕を組む。「貴族の彫像なんて、あんな汚い下町におっ建ててどうするつもりなのか知らんがな。しかし彫像の周囲の見てくれが悪いってんで、近くにあった家々を一掃しちまって石畳の広場にするってのは酷すぎる。二十軒近くも潰されたんだぜ!」
 ボローハ通りの名を、今日はなぜだかよく耳にする。アルマも一度か二度通り過ぎたことがあるが、確かに下町には似合わない綺麗な石畳の公園だ。なるほど、そういう経緯があったのかと内心思いつつ、アルマは目をまたたいた。
 「その取りつぶしが夏祭りの少し前のことです」ツァランが真面目くさった表情で説明を引き継ぐ。「……そのとき角のパン屋も一緒に潰れた。あのパン屋は見た目こそ汚かったし、おかみもそれこそ、パンを潰したら中からかぼちゃ餡が飛び出したような顔の女で、口が裂けても綺麗どころとは言いがたかったが、それはそれは香り高いライ麦パンを焼いていたのだ。ぼくはそれまで三日にいっぺんは通い詰めていた。したがって立派な当事者なのです。ブルックマンの弟が帝都の皇宮で褒めそやされようが、同僚の夫人と通じているのがゴシップになろうがぼくらの知ったことか」
 「そのゴシップはおれは知らないぞ」デューラムがほうと声をあげた。「少なくともブルックマン自身は美丈夫とはほど遠い顔つきをしてたがなあ! おれが露店で野菜を売ってるときに、ごてごて飾り立てた馬車で通り過ぎるのをちらっと見たぞ。若くもないし……まあ、世の中に似てない兄弟はいるけどな」
 「言っておくがな、デューラム」ツァランはやはりいけしゃあしゃあと、「色男の全員が全員二枚目というわけではないのだぜ。だから君とて色男になれるチャンスはあるし、逆にぼくが色男になれない可能性もあるというわけだ」
 デューラムが異議に鼻を鳴らす。「おまえ、ろくでもない酒だのあへんだのを買う前に、眼鏡と鏡を買ったほうがいいぜ!」
 「遺憾ながら目はいいほうでね……まあ、そのブルックマンの弟だが、なんでも高級劇場の観覧個室で、こう、ことに及んでる現場をよりによってその夫に発見されたらしいぜ――あやうく刃傷沙汰になりかけたとか」
 ダグラスがひゅうと口笛を吹く。「現場って、その現場か」
 「文字通り真っ最中だったらしい。人に見られかねない場所でやるのが興奮してたまらんってやつらが、貴族の中には意外と多いらしいぜ……と、」品のない笑みを浮かべてダグラスに返してから、ツァランはちらりとアルマを見て咳払いをした。「……失敬」
 この男は下品な発言をしたあとにはきまってこうして謝ってくるのだが、そのくせ趣味の悪い話をするのをあらためる様子がない。ならば、いちいちわざとらしく断られない方がよほどましだった。
 アルマは溜息をついた。「……そりゃあブルックマン大臣にいい噂は聞かないけど、そのヒトガタをわざわざ作って燃やすってなると、悪戯としては悪質でしょう。まるで呪いをかけてるみたいじゃない。大臣ならどうだか知らないけれど、もし王様王子様でそれをやったら、大逆罪でコレに――」言って自分の手で一直線に首を切るまねをし、「――なりかねないんですよ」
 「そうは言うが、焚き火にヒトガタを突っ込むなど、かわいい冗談ですよ」唇を皮肉っぽく歪めてツァランは言う。「……ささやかな抵抗精神を織り交ぜただけのお遊びです。呪い呪われの泥沼なぞは、王宮とお貴族社会の内部でこそ権力争いのために荒れ狂ってるかもしれないが、下町に住む連中にやつらを呪ってさしたる利などない。また別の王だの大臣だのが出てくるだけだ。ブルックマン大臣が暖炉によりかかった隙にけつの先っぽにちょっと火がついて火傷をしたとかいう話をもし聞けば、いい気味だと笑うかも知れないが、しょせんその程度です。そういう民衆のユーモアを理解しないぴりぴりしたお偉方が、やれ謀反だの大逆罪だのなんだのと騒いでいるだけの話だ」
 「だから、下町のユーモアは警備兵だの貴族だのには通用しないんでしょ、ということを言ってるの。一発殴られただけでよかったと思うのね」
 アルマは再度溜息をついた。しかし、目の前の男はと言えば、いっこうにこたえた様子も見せず、にやにやと軽薄な笑みを浮かべているばかりなのである。







  
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