Midsummer Fires 2

UMOUR OF AN EERIE FIRE.




 「火の玉?」
 アルマはいぶかしげに首を突き出した。「そんな話、知らないけど」
 へえと言うとデューラムは口をとがらせた。「町中に住んでるくせに噂話に疎いなあ。おれは村暮らしだぜ!」
 「ここに来るのは奥様方と違って、無口な男の人が多いし……よっぽど噂好きの人と年がら年中いないかぎり、お化けの話なんて聞きません」溜息を一つ漏らすと、脂蝋を後ろの小棚に片づけながらアルマはデューラムにうさんくさげな視線を向けた。「それ、おおかたツァランかダグラスから聞いたんでしょう」
 ツァランとダグラス――彼らの仲間うちでも、ひねもす噂話やうさんくさい事柄に興じている二人の名である。案の定、デューラムはぽりぽりと頭を掻いた。
 「ばれたか……いや、だがその話はあいつらだけが大元なんじゃないぜ。ボローハ通りに出るんだそうだ。深夜近くに丸い炎が、人の背丈くらいの場所に浮かんでちりちり燃えてるのを見たというのが何人もいる」
 「誰かがたいまつでも持って歩いていたのじゃないの?」
 「それが、普通の炎とはあきらかに違った、青白い不気味な光なんだそうだ。しかも、とても人とは思えない奇々怪々な動きをする。こう、人を誘うようにゆらゆらと揺れたかと重うと、近づいて見ればさあっと高く空に上がってったり、ふっと消え失せたりする。光が消えたあとに赤ん坊の泣き声を聞いたと言う奴もいれば、突進してきた光に衝突したあと、家に帰ってみてみれば、全身なにもんだかの血に染まって真っ赤だったとかいう奴もいる。ツァランは三度も見たと言ってたぜ!」
 嬉しそうに喋るデューラムの隣で、いっぽうのイザクは近くの椅子を引き寄せて座ると、大きな欠伸(あくび)をした。「あの野郎の言うことは五割引いて聞けと言ってるだろうが」
 「ってことは、一回と半分か?」
 「十割引け」欠伸と苦虫を一緒に噛みつぶしたような顔で、イザク。
 「まあ、おれも見たと言ったのがあいつじゃなけりゃもっと信じる気になったかもしれないけどな!」デューラムはあっけらかんと笑う。「どっちにせよアルマも気をつけたほうがいいぜ。しっかり戸締まりをしないと、鬼火が入ってきて店中血だらけにしていくかもしれないぞ!」
 「そりゃあ困るなあ。ロバートが帰ってきたらこっぴどく叱られます」アルマは首をすくめた。「だけども鬼火の中に血が詰まってるなんて話、初めて聞いた。わたしが聞いた話では、あれって狐のいたずらなんだってことだったけど」
 「それはうちの父さんも言ってたぜ。鬼火ってのは狐のしっぽだとな……嫁入りがあったり、葬式を出したりするときに、狐どもがみんなでしっぽの先に火をともして行列をつくるんだとな。だが、血糊を撒き散らすなんて、いかにも狐狸のやりそうなことじゃないか」
 「それ、“僧侶のちょうちん行列(フライアズ・ランタン)”のことかしら」
 とつぜん話に割入ってきたのは、いまだ竹籠をいじくり回していたはずのエーリーンだった。いつから聞き耳を立てていたのやら、座っていた木製の高椅子(スツール)をがたんとこちらに向けると緑の目を好奇心に光らせる。
 「僧侶のちょうちん?」
 「そうよ。人里離れた山に秘密の巡礼をするお坊さん達が掲げた灯火っていうお話……でも狐のほうが可愛いわね。今度からあたしもそっちを採用することにするわ!」くすくすと笑い声をはさんで嬉しそうに続ける。「それにしても、火の玉にはいろんなお話があることだわ。あたしの知ってるのはウィリアムっていう悪い男のお話よ」
 エーリーンはここでいったん言葉を句切ると、唇をにいと横に引いた。「聞きたい?」
 聞きたいと言えば彼女のペースに持ち込まれるのは分かっていた。こういうとき、イザクは肩をすくめて黙っているだけだし、ツァランやダグラスなどは逆に、聞きたくないと返事をしてエーリーンを怒らせていただろう。後者二人は彼女をからかって楽しんでいるようなふしがある。それでも、相手のペースに巻き込まれてやるのも関係のうちかとアルマは思っている。
 否の声が出なかったので、エーリーンは満足そうな表情で話し始めた。「――しみったれの酔いどれウィリアムがある日、悪魔と取引をするの……魂をやるかわりに、つけにつけてる酒代を払えってね。悪魔は快く承諾するんだけど、悪魔がいざウィリアムを地獄に連れ去ろうとしたその時に、ウィルはこの世の最後の望みに、近くの高い木になってる林檎が食べたいというの。哀れに思った悪魔は、木に登って林檎を取ってやろうとするのね」
 「やけに情の深い悪魔だな」デューラムがいかにも素直な感想と言ったふうの台詞を口にする。
 「お話なんだから黙って聞きなさい」エーリーンは十(とお)の娘が弟をしかりつけるような口調で言った。「……ところが、悪魔が木に登ってるそのあいだに、ウィリアムは木の幹に十字の魔除けのしるしを刻んで、悪魔がその木から降りられないようにしてしまうの。悪魔は仕方なく、彼の魂をあきらめるという条件を呑んで自由にしてもらうの」
 「やけに間の抜けた悪魔だな!」ふたたびデューラムが茶々を入れる。
 「人のことを言えたあんたじゃないでしょ!」エーリーンはじろりと青年を睨みつけた。アルマはデューラムが時たまエーリーンの気まぐれや空想話に振り回されているのを見ているので、それに同意したくもなったが、当の二人を目前にしているのでとりあえず黙っておくことにした。
 「まだ続きがあるんだから、黙って聞きなさいったら。……そんなふうに悪知恵のきくウィリアムだったんだけど、とうとう寿命がつきて死んでしまうのね。ところが死んだウィルの魂が天国に行こうとすると、そこに立ってた門番が、生前の悪行を理由にどうしても天国に入れてくれないの。仕方なくウィリアムは地獄に行こうとするのね。ところが地獄の門に立っていたのは、運悪くもウィリアムが騙した悪魔だったの。その悪魔は格好の仕返しとばかりに地獄に入れてくれない。それで、ウィリアムは死後の行き場所もなく、この世を延々とさまようほかなくなってしまったの。ただ、最後に悪魔は自分を騙しおおせたウィルの機知に敬意を表して、彼にささやかな道連れをくれるんだわ。それが、この世の終わりまでけっして消えることのない、地獄の業火をうつした藁束(ウィスプ)だった、というわけ」
 「ああ、そうつながるわけね」アルマはようやく合点がいった。「それで、“藁束ウィル(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)”ってわけなの」
 ウィル・オー・ザ・ウィスプ――不可思議な火の玉を呼びならわす、広く知られた呼称である。ウィル・オー・ザ・ウィスプのまぼろしに惑わされる男のおとぎ話は、誰でもたいていは一つ、二つ知っているものだが、さすがにその背景物語についてはアルマも初耳だった。というより、その名の由来などに思いを馳せることもなかったのだ。むろん、いまエーリーンの語ったものが、名前の後からこさえられた話という可能性も十分にあるのだが。
 「そうよ。アルマは頭の回転が速くって好きだわ!」エーリーンは大きなアーモンド型の目を半月型に歪めた。「そう、だからあの鬼火は、天国にも地獄にも行けずにさまよう男が掲げる灯火なんですって」
 「だとすると別に怖いものでもないってことなのかな」アルマは椅子の上で足を組むと天井を仰いだ。椅子の背もたれがぎいと軋む。「夜中にふわふわ浮いている青白い火の玉って、わたしが昔に住んでいた土地では死んだ人の怨念だって言われていましたよ。だからヒトダマ――人の魂、なんて呼ばれていた」
 「そうねえ、幸をもたらすって言い伝えもあることよ。北方かどこかの伝承だと思ったけど、地下や水底に沈んでいる宝物は、鬼火がその上で光っているときだけ掘り出せるんですって。そうして、宝物のありかを示すそうした火の玉は、夏至の夜に現れるっていうわ」
 「おや、それじゃあ、あと五日で宝物が掘り出せる日が来るってわけだ」アルマは悪戯っぽく笑ってみせた。「それじゃあみんなで集まって、鬼火が出るっていうボローハ通りの下を掘ってみましょうか」
 「ところがどっこい、べつなお話もあるの」エーリーンはにんまりと笑いを浮かべた。彼女は唇の色が薄いので、日も落ちて薄暗くなった店の中でこういう表情をすると、形のよい瓜実顔に口の形をした切り目がざっくり入り、闇が舌をちろちろと覗かせているかのようで不気味である。「生誕の祝福を受けないままに死んだ子供が、あの世に行けずにさまよってるのが火の玉なんだっていうのが、このあたりの言い伝えよ。鬼火の近くで赤子の泣き声が聞こえたなんていかにもそれっぽいわ。宝物を探して鬼火の下を掘ったら、赤ちゃんのちっちゃな骨が出てきたりしたら憂鬱だこと」
 「おいおい、いやな話をするなよ」デューラムがげっそりと言う。
 やれやれとアルマも溜息をついた。「欲深な人間にばちが当たるのはおとぎ話の常だけどね」
 するとエーリーンはさも満足そうにくっくっと笑うのである。「あたしは綺麗なものと綺麗なお話が手に入ればなんでもかまわないっていう人間だから、きっといちばん先にばちが当たるんだわ……」
 言うなり、彼女は高椅子から滑り降りるように立ち上がった。「この竹籠、いただくわ。いくら?」
 「あれまあ、てっきり冷やかしだと思ってたら買ってくれるの」アルマは目を丸くした。「銀貨三枚です」
 ぱちんとカウンタに銀貨を置くと、エーリーンは竹籠を指にぶら下げ、軽やかな足取りで出口に向かった。その背中に、おい飲みに行かないのか、とデューラムが声をかける。エーリーンは扉に手をかけつつ振り返った。
 「今日はやめとくわ。一人で宝探しがしたいの」
 カラカランという鈴の音とともに戸が閉まる。ぽかんと口を開けたままの三人を残し、ばちあたりの娘は去ってしまったのだった。






  
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