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Midsummer Fires 10
IDSUMMER FAIR.
翌日はやはり快晴だった。寝不足がたたって腫れた目をこすりながらアルマが<まだらの竜>亭の扉を開くと、すでに隅の一角には仲間らが顔をそろえて座っていた。――ジョンはいない。デューラムが昨日声をかけたようだったが、警備兵仲間と一緒に過ごすと、ジョンはそう答えたらしかった。
「寝坊したろう」と、にやにやとデューラムが言う。
「少し店で作業をしてたんです」アルマはふくれて答えた。
「祭りの日に仕事なんてしちゃ天罰があたってよ」と、そう言ったのは、ここ数日姿を見かけなかったエーリーンだった。「あたしなんて宝探しまでお休みにして、こうしてここにいるんだから!……でもまあ、宝探しはもう終わったのだけれど」
「終わったって?」アルマがきょとんと聞き返すと、エーリーンはいかにも嬉しそうな含み笑いを漏らし、
「宝探しの成果を見せびらかしたくて、みんながそろうの待ってたの。なんだと思って? ――鬼火を捕まえたのよ」
デューラムがテーブルの向こうでぱかんと口を開いた。自分もまた同じ表情をしていることを、アルマは確信した。イザクですら目を見開き、なんとも言えぬ表情でエーリーンを見返している。仲間らのその驚愕ぶりに、エーリーンはますます満足げな表情を浮かべると、店の床から持ち上げた何かをテーブルの上にそっと置いた。どこか東国風の、端正な竹細工――
「これ」アルマはやっとのことで、「こないだ買ってった竹籠じゃないの」
「そうよ。鬼火をこのなかに閉じこめてあるの」エーリーンは澄まし顔で言い放った。「ちょっとお待ちなさいね」
言うなり、エーリーンは黒い布厚のショールをどこからか取り出して、さっと竹籠にかぶせかけた。「こうして暗くして、ほら、隙間をちょっとだけ作って覗いてごらんなさいな。鬼火が光るのだから」
いの一番にデューラムが飛びついた。しがみつくように籠を抱え込むと、一瞬、ひるんだように逡巡を見せてから、おそるおそるショールを持ち上げて中を覗く。
「なんだ、何もないぞ」くぐもった声。
エーリーンがシィッとそれを制した。「少し黙って見てるのよ」
「いや、何も……」
なおもそう言ったデューラムは、だが次の瞬間、あっと一声叫ぶなり顔を籠からひき離し、中に何かを閉じこめるかのように素早くショールの隙間を伏せた。
「え、嘘でしょう!」アルマは思わずそう叫んだ。だが芝居のようにも見えなかった――このデューラムという青年は、つくづく嘘が下手くそなのである。「まさか――」
「わからん」デューラムは口に手を当て、もごもごと、「だけど何か白いのが光ったぞ」
「鬼火よ!」エーリーンは彼の反応にかん高い笑い声をあげた。「いやだ、騒いじゃ駄目よ。おくびょうで気の小さな鬼火なんだから。優しく見てあげなけりゃ」そう言うと、竹籠に手を伸ばし、ゆっくりとショールを払いのける。
ショールの下から再度姿を見せたその竹籠の、きゃしゃな青緑色の網目を通して中に見えたのは、籠の隅にうずくまる一匹の黒い虫だった。指の半分ほどの大きさをした、独特の姿の楕円形の甲虫である。
「この虫が鬼火だってのか」テーブルに這いつくばるようにして竹籠を覗いたデューラムが、驚異と疑惑を隠さない声音で呟いた。
「そうよ、これが鬼火の世をしのぶ仮の姿……いえ、いつもは草葉のかげに隠れている小さな虫が、日が沈むやいなや恋に焦がれて身を燃やし、鬼火に変身するのだわ。ね、素敵じゃないこと……」エーリーンはころころと笑い、「水辺にいる虫なのですって。夜におなかを光らせて、つがいの恋人を見つけるの。ふつうはもっと暖かいところにいるらしいのだけれど、きっと誰か旅人が連れてきて、放したのね」
自らが周囲の驚きの的となっていることなど何も頓着せず、黒い虫はただ籠の中でもぞもぞと身体を動かしている。アルマはデューラム、イザクの二人と顔を見合わせた。
「じゃあ、あれはこの虫だったのかしら」アルマはおそるおそる、誰にともなく呟いた。
デューラムは低く唸ると腕を組んだ。「いや、あれはジョンの子だったよ。根拠はないが、そんな気がする。……だってああして、最後にやつの前に姿を見せたんだからな。もしあれが虫だったにしても、それでもその虫がその子の魂の生まれ変わりだったのさ」
「じゃあ、その生まれ変わった魂をこの人が捕まえちゃったってこと」アルマは力の抜けた声で呟き、当の娘に目を向けた。
当初は満面に自慢げな表情を浮かべていたエーリーンも、いまや仲間らの奇妙な会話についてゆけず、怪訝そうに眉を寄せていた。「……いったいなんの話?」
三人はふたたび顔を見合わせた。
「このばちあたりめが」
イザクが一言そう言ったので、デューラムとアルマは噴き出した。
「なんの話かって、鬼火の話さ!」と、笑いの合間にデューラムが答える。いつもと逆転したその立場に、エーリーンは大きな目をさらに丸くして三人を順繰りに見るばかりなのだ。
――と、そのときアルマはふと、風変わりなしらべを遠くで聞いた気がして顔をあげた。
イザクが<まだらの竜>のいつも薄汚れた窓硝子に目を向ける。「……バグパイプだ」
「お、もう来たのか」デューラムが顔を輝かせる。「たしかに太鼓の音もするな。じゃあ、あのパイプを吹いてるのはダグラスか?」
ちょっと冷やかしてやるか、とイザクが呟き立ち上がる。
「ようし!」デューラムは腕まくりをすると、続いて勢いよく立ち上がった。「みんな、外に出るぞ――夏祭りのパレードだ! 思い切り騒いでやろうぜ!」
言うが早いか、彼は椅子を蹴り、まだたっぷりエールの入ったジョッキを手に外に飛び出していく。酒場の戸口は、酒を片手にパレードを見物しようとする客で早くもいっぱいだ。その人だかりの向こうから、音楽が、足音が、人の熱気が、たしかにこちらに向かって行進してくるのがわかった。曲線的に揺れる低音の音色が耳を打つ。ああ、これがバグパイプの音なのか、とアルマは思う。不思議と懐かしいそのしらべが詩吟のように波打って、どん、どん、と地面を震わす大太鼓の音に絡まり合う。パレードの回りで騒ぎ回る野次馬聴衆の歓声や拍手がやかましくその音色のあいまを埋める。騒ぞうしく燃えさかり、猥雑に、そして鮮やかに光り輝く夏のクライマックスだ。
道の向こうから押し寄せてくる熱気と音の洪水を、そして地面から沸き上がってその場を満たす活力の密度を感じながら、アルマはふと、昨晩彼女が見た背中を思い出す。
きっといつか、ジョンもほかの誰かと添い遂げて、彼とその新しい伴侶のための世界を生きるようになるだろう。彼のなかに響く死者のささやきは、しだいにその声をひそめていくことだろう。
それでもこの夏の祭りがやってくるたびに、ジョンは昨日のことを思い出すだろう。黒い土の中に沈んでいった小さな熊の人形のことを。最後に二つまたたいた、あの別れの挨拶のことを。かつて連れ添った女性のことを、彼女がその手に抱いてやれなかった子どものことを、そして自分が二人にしてやれなかったいくつものことを。それらすべてを、あの夏至の大火を見るたびに彼は思い出すのだろう。毎年、毎年、夏至の日に。
人の苦しみはけして季節の儀礼と同じではないと、ツァランはそう言った。それが終わる日が来ることを、世界は保証しないからと。だが、記憶は季節とともに幾度も巡りくる。一年に一度だけ、夏至の日に異界の門はひらかれて、封じられていた死者の記憶が呼び起こされる。何度も、何度も、闇と光のはてしない攻防が一巡するごとに、死者は闇のなかに燃え上がる火のむこうから、いっとき生者に笑いかけるのだ。そして毎年同じように巡り来る夏を、人は一度として同じように生きることはない。死者の笑顔や匂いや手ざわりが少しずつ変わっていくように、数年後、数十年後、ジョンにとっての夏至のこの日がどのように始まりどのように終わるのか、その痛みと記憶がどのように生きられるのか、それを知る者は誰もいないのだ。
――なれば彼も、そしてわたしたちも、この燃えさかる熱と光の洪水を、いまはただ純粋に謳歌するだけだ。この国の人びとがはるか昔からそうしてきたように。
アルマは微笑して立ち上がった。開いた扉のむこうから、澄み切った青空と、さまざまな楽器の織りなすハーモニーが飛び込んでくる。
短くも華やかな夏の祭りが、いまフィナーレを迎えようとしていた。
Bagpiper
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