OUNDS OF DRUMS.

1


 どん、どん、と腹の底を震わせる野太い音が聞こえてくる。
 空気をにぎわし地面を伝って店の中にも入ってくるその響きに、アルマは顔を上げて窓の外を見た。間近から響く音ではなかったし、窓の硝子は透明度の低い安物だったから、いずれ外が綺麗に見えるわけでもなかった。だが、なんとはなしにおもての空気が活力を帯びにぎわっているように感じられる。角を二つ曲がったところにある大通りだろうか、とアルマは思う。
 ――大太鼓かしらん。
 リズミカルに重く轟く低音に、店の中の品々までもが共鳴しているような気がして、アルマは店内を見渡す。
 ……さして大きくもない店は、大小様々の物品で埋め尽くされている。一方の壁には、どこからやってきたとも知れぬ種々の刃物が一面につり下げられ、他方の壁一面に取り付けられた棚の上には形も用途も千差万別の道具類が並んでいた。右の棚から古めかしい鋼の手甲の指がいくつも覗いているかと思えば、左手前の床には無骨な皮の長靴がいくつも並べられている。かと思えばその上には、持ち手が少しひしゃげていたり、硝子にうっすらと曇りの浮いたカンテラがぎゅうぎゅうと詰め込まれているのだった。
 だが、所狭しと並んだそれらの道具やがらくたの数々は、アルマの所有物ではない。この店の主人のものだ。正確に言えば、ここ<ロバートの道具屋>が取り扱う商品である。アルマは単に店主ロバートが不在のおりにカウンタに座る店番にすぎないし、さらに言えばたった二月ほど前にこの下町の道具屋で店番として働きだしただけの、見習い雇われ人である。
 どこどこと太鼓のリズムが早くなる。それに合わせてわあっと歓声が湧く。凄腕の太鼓叩きが街角で演奏し、聴衆を通りに集めているのだろう。
 ――もう祭りは始まっているのだろうか。
 この王国、ヘプタルクでは夏に大きな祭りがあるという。この国に住みだしてまもないアルマはまだその祭りを直接目にしたことはなかったが、十日ほど前から堅牢な市壁の中にあふれ出した熱気、興奮、騒ぞうしさのようなものを鑑みれば、祭り本番のにぎわいは推して知るべしとも言えた。中心街には市長(ロード・メイヤー)が建てたものという意匠の凝った飾りや花壇が姿を見せていたし、かと思えば下町区域でも、通りという通りを色とりどりの旗やアーチが埋め尽くし、ごちゃごちゃと立ち並ぶ家の窓を、今を盛りと花開いた植木鉢が飾るのだった。だが裏を返せば、そのさまは華やかではあったけれども、町の祭りの情景としてはごく一般的なものとも言えた。だから、奇想天外な噂に満ちた国・ヘプタルクにいま自分がいるという実感をアルマはどうもおぼえられずにいる。
 ヘプタルク――そう、彼女が今いるのは、かのおとぎの国なのだ。気高くも恐ろしい妖獣を自在に飼い慣らす魔術師の住まう土地、住人の半分が妖精であるという国、底知れぬ魔力を秘めた古代の芸術品が無数に眠る土地、他の土地では失われて久しい知がこの世ならぬ奇跡を現実のものとする地――エトセトラ、エトセトラ。三つの深い森と五つの谷を隔てたアルマの故郷でも、ヘプタルクはいつだって子どもに聞かせる夢物語の舞台だった。おとぎ話が描く絵がそのまま現実だと信じていたわけではなかったが、それでも幼い時分にすり込まれた夢の国のイメージは、思いのほか彼女の感受性のなかにこびりついていたのかもしれない。だから、はじめてこの街に足を踏み入れたとき、アルマは肩すかしを食らったような気分になったものだ。ヘプタルクはたしかに異国情緒の漂う国ではあったけれども、けっして子どもが夢の国として想像するような驚異にあふれているわけではなかった。そこには全身が銀色に光る魔人も、ほうきで空を飛ぶ魔女も、人語を解する熊も狼もいなかった。ヘプタルクの住民たちは一風変わってはいたかもしれないけれども、ものを食べ、体を動かし、つまらない争いごとに紛糾し、世間話に花を咲かせながら日々を送っていたのだし、それはアルマの故郷とも大差ない日常生活なのだった。
 しかしながら――まさしく今見たように――ヘプタルクが“普通”であるというとき、その前にはいつも留保がつく。日々の生活のなかで彼女が出くわすのは、どこにでもある物品や仕草や慣習ばかりなのだったが、その影にいつだって、底知れない・感知できない“不可思議”がひっそりと音もなく震えているような、そんな気分がしてならないのだ。だが普通と普通でない部分とを双方抱えているということじたい、その土地が“普通”であることのこれ以上ない証なのかもしれない……。偶然この地に行き着いてから数ヶ月、ヘプタルクが奇特な国なのか、その特徴はどの国も大なり小なり持っている個性の範囲内に収まってしまうものなのか、彼女にもわからなくなってきている。
 預かり物の長靴に脂蝋をすりこんで磨き上げ、カウンタの上に置くと、アルマは伸びをした。
 「一休みしようかな。葡萄酒を持ってくるけど、あなた、いる? エーリーン」
 「ん」
 カウンタの隅につっぷするように腰掛けていた女が顔をあげる。赤味の強い髪をした細身の娘で、目の前には小さな竹籠が置かれている。午(ひる)すぎにやってきたこの娘は、雑貨が積み上げられた棚にあったその竹籠を見つけてからというもの、えんえんとその籠をひっくり返したり覗き込んだりしていた。色かげんが若干東国風で、細やかな模様の施されたその品がいたくお気に召したらしい。この娘はこうしてたまにふらりと店にやってきては、そのつど違うものをいじくり回していく。
 彼女はアルマがこの国にやってきて以来、なぜだか腐れ縁でつるむようになった集団の一人だ。居候農夫だの木こりだの占い師だのという、どこでおたがい出会ったのかもわからない、うさんくさい輩ばかりだが、まあアルマ自身も人のことは言えない。とにかく、下町の酒場に集まってひねもす雑談に興じている連中である。
 「確かいちじくの干したのと山羊のチーズがあったから、一緒につまんで――」
 手入れが面倒くさいのでいつも短くしている自分の髪を、指で梳きつつアルマがそう言ったところで、カランと戸口で音がした。扉を開けて入ってきたのは二人の男で、そのうち黒い髪を短く刈ったほうの青年が彼女に向かって手をあげた。「よう」
 アルマは目をまたたかせた。「今日は冷やかしが随分多い日だなあ。いらっしゃい、デューラム、イザク」
 デューラムと呼ばれた黒髪の青年は苦笑した。「開口一番そりゃないだろ。いくら閑古鳥が鳴いてるからって言って」
 「おやまあ」アルマはカウンタに肘をつくと、悪戯っぽく笑ってみせた。「中性的な魅力の美女が店番しているってんで、朝から覗きに来る人たちでてんてこまいですよ。いまはおよそ開店してから初めて、ちょうど人が途切れたところ。あなた方も覗きのくち?」
 「てんてこまい? おかしいなあ、朝に通りがかったときにも人っ子一人いる様子はなかったぜ」デューラムは快活に笑った。「そんでもって、この覗きは何をしてるんだ?」
 「嫌だ、邪魔をしないでよ」竹籠を覗きこまれたエーリーンがぶつぶつと文句を言う。「良い詩が思いついたところだったのに、あんたの無粋な声で忘れちまったじゃないの」
 つまりただの冷やかしなんだな、と言って肩をすくめる青年にアルマは言った。「そうだデューラム、あなたのナイフはもう少し時間がかかるってロバートが言っていましたよ。なんでか今の時期、少し立て込んでいるんだって」
 「ああ、かまわない。預けたときにも少し時間がかかると言われた」と、デューラムは陽に焼けた顔に朴訥な笑顔を浮かべ、「だけど一人で留守番なんて物騒じゃないのか?」
 「ロバートは奥さんと一緒に出かけてるし‥‥」アルマは笑って肩をすくめた。「いえ、戸締まりはしてるし、大丈夫」
 「戸締まりをしてるって言ってもなあ」デューラムは近くの椅子にどっかりと腰を下ろすと、しかつめらしく眉をひそめた。「このあたりは最近おっかないらしいぜ。あちこちで怖い話が噂されてんのを知らないのか?」
 「怖い話?」アルマはぱちくりと目をまたたかせた。「……何が出るの?」
 その問いに、デューラムはにやりと笑って答えた。
 「火の玉だよ」





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