Midsummer Fires 4

HE MYSTIC POWER OF COSTUME.
IGNIS FATUUS.





 「しかしまあ、アルマの言うとおりだぜ」
 酒がほどよく回って暑くなってきたのか、麻の上衣を肘の上のところまでまくり上げつつ、ダグラスが言う。「……ツァラン、おまえが殴られたのはな、いんちき文士みたいな格好をしてあきらかに目立ってたからだ。下町のふつうの野郎が同じことやってたなら、あの警備兵も見逃してただろうぜ。だいたいあのへんを見回ってる警備兵なんてのは、やつら自身が下町出身なんだ。中途半端にインテリめいたのがうろうろして生意気を言ったりやったりするから、やつらも頭にくる」
 「仕方あるまい。あの日は中心街の毛皮商人に東国の動物辞典の翻訳を売りつけた帰りだったんだ。異国人くさい格好で行くのがおれのふだんの正攻法だが、あのときはいかにもまっとうな文士の格好で恐ろしげに東国の神秘を語るというやりかたに出てみた。結果、成功したのだぜ――予想の三倍の金額を払ったからな、あの商人。その後、着替える時間がなかったのだ。付けひげをはずす時間しかなかった」
 「いや、そもそもなんでそんな変装めいたことをしてるんだ」デューラムがうさんくさげに待ったをかける。「まるでイカサマ商法のようにしか聞こえないんだが」
 「おや、聞き流せんな」と、ツァランはもったいぶった様子で顎を撫で、「衣装というものにはイカサマなんぞでは済まされない、底深い奥義が秘されているのだぜ。主従関係も場の雰囲気も権力関係も、みな一定程度は衣装が作り出すものだ。……だが、人間様が衣装に左右されるなんてのは本末転倒の話であって、そういう気味の悪い支配の裏をかくためには、まずもって衣装の使用法を知悉(ちしつ)することでもって、効果的に転覆することが大事なのだ。衣装に踊らされるのではなく衣装をもって踊らせよ、敵を知れ、ということだ」
 「またわけのわからんことを言い出しやがってこいつ」デューラムはうんざりと、「だいいちおまえ、その衣装のせいで殴られたんだろ! ぜんぜん使いこなせてないだろう」
 その恐ろしくまともな切り返しに、ツァランはあっけらかんと笑った。「言われてみればそうだった。――まあ、あの辞典に関して言えばたしかにイカサマだったな。どこの妄想狂が書いたのか、トンデモ本としてはすこぶるいかした出来ではあったが、書いてあることの八割は根も葉もない嘘だったな。ははっ、ヘプタルクはああいう本がごろごろしているから面白い」
 アルマは額に手を当てた。頭が痛くなりそうだ。
 「おまえといると命がいくつあっても足りないよ!」デューラムはそう言うと林檎酒を勢いよくあおり、一杯目のジョッキを空にした。「三発くらいその警備兵に殴られたがよかったんだ」
 「まったくだわ」とアルマは呟いた。これ以上ツァランのうさんくさい商売哲学を聞いていると本当に頭痛が始まりそうだったので、彼女は二杯目の酒を注文すべく立ち上がり、議論する面々を尻目にカウンタに足を向けた。



 「そういえば、あなたがた鬼火を見たんですって?」
 エールのジョッキを両手にテーブルに戻ったアルマは、イザクにそのうち一つを渡しながら言った。またも眉唾だらけの長口上が始まりかねなかったが、インチキ商法の話よりはインチキ怪談のほうがまだましである。
 いちはやく反応したのはダグラスだった。「ああ、そいつならおれも見たぜ。二人で酒場から帰る途中でな」
 イザクが呆れたように鼻を鳴らすと、納得したように太い眉を上げる。その様子を見ながら、アルマは息を吐いた。「つまり、酔っ払ってたってわけね」
 「いやあ、まぼろしじゃあねえぞ!」ダグラスが心外とばかりにジョッキでテーブルをどんと鳴らす。おいおいテーブルを壊すなよとデューラムがぶつぶつ言うのも気にせず、「本当にふわふわと、ちょうど人の腰の高さあたりを飛んでたんだ。百フィート(注:約三十メートル)と離れてなかったぜ」
 「無事で良かったと思えよ、ダグラス!」デューラムが牛のローストの薄切りを指でつまみあげる。向こうが透けて見えそうな薄さにちっと舌を鳴らすと、口の中に放り込む。「……うちの婆さんや母さんは、あれを見ても絶対に付いていくなと言っていたぜ。狐を信用するな、あいつらはいつもカモを探してるってな。ふらふら付いて行こうものならもう帰ってこられないだの、崖から足を踏み外すだの、池の底にひきずり込まれるだの」
 「それは従うが賢い忠告だな」ローストの付け合わせの芋でグレーヴィ・ソースを掬いながら、ツァラン。「イグニス・ファトゥースは古今東西様々な地域で語り継がれてきた不思議だが、湖だの沼だのといった水際での目撃情報が多いのは確かだ」
 「イグニス・ファトゥース?」
 「古典語で『愚者の火ignis fatuus』、すなわち火の玉だな。珍妙な動きをするのでそんな名で呼ばれているらしい。いずれにせよ、暗い夜にふらふらと鬼火について行った輩が、その周囲の沼に落ちたりすることもあったんだろう。藻の茂った沼に真夜中に落ちれば助かる見込みは少ないからな。異界である黄泉の世界に連れ込まれて、戻ってこられなくなると言うわけだ。狐どもがどれだけそうした不幸な事故に責任があるのか、ぼくにはよくわからないが、まあ危うきには近寄らざるべしという生存哲学をその言い伝えは体現しているわけだ。きみの母君がどこまで本気だったのかは知らないがな、デューラム、おおかた木から落ちては骨を折ったり、巨大な犬と取っ組み合いをして耳を噛み千切られそうになったりしてる息子を見て、あらかじめ釘を刺しておくことにしたのだろう」
 「うるせえや。危うきをつっつき回して楽しんでは、やりすぎて火傷ばかりしてるのはおまえじゃないか。おれはたしかに向こう見ずだが、警備兵に殴られるようなことはめったにないぜ!」
 デューラムがふんと鼻から息を出し、天上を仰ぐ。「……まあそれはそうとしてだ、宝物が埋まってる場所を示してるってのは良いよなあ。最近ぜんぜん出かけてないし、農作業だけじゃ神経がなまって仕方がない。エーリーンのやつは宝探しをしてるなんて言ってたが、おれたちもひとつ、鬼火の宝でも探してみるか?」
 「しかしあれが飛び回ってるのは街のど真ん中だがなあ」ダグラスが疑わしげに眉を寄せる。
 「だが考えてもみろよ……その取りつぶされた通りに住んでたうちの一人が、こっそり溜め込んだへそくりを地下室かなんかに隠していて、それがそのまま石畳の下に埋もれてるのかもしれないぜ!」
 「そういやパン屋の隣に住んでた婆さんが、いかにもそんな面(ツラ)をしていたな。取りつぶしの少し前にぽっくり逝ってしまったが――おっと!」
 軽口を叩きながら店内をなにげなく見回したらしいツァランは、そこで一声あげるなり突如何かから顔を背けるように俯いた。人混みにまぎれようとしているのか、猫背に体を丸め、後ろに下ろしていた外套のフードを被る。
 ただならないその様子に、デューラムが怪訝そうに、おいどうしたと声をかける。
 「噂をすればなんとやら」とツァランは呟き、向かいの相棒に首をのばしてささやきかけた。「ダグラス、あいつだ……<のっぽのジョン(ロング・ジョン)>だ」
 「何?」大男がさっと横目で入り口をうかがう。「……本当だ。非番か?」
 「わからん。仕事が終わって一杯ひっかけに来たというところか……しかし、まだこのあたりをうろついてたとはな」
 「え」アルマは事態がつかめず、おそるおそる尋ねた。「ジョンって誰?」
 ダグラスはアルマの顔を見てから、鋭い視線をちらりと一瞬だけ、再度戸口に走らせた。
 「去年こいつを殴り飛ばした警備兵だ。……おい、こっちに来るぜ」







  
[1] [2] [3][5] [6] [7] [8] [9] [10]
 小説もくじ  トップ