HOST OF CASSCOTT SQUARE.

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 翌日夕刻、日が傾きかけるころ、四人はデューラムの家に集合した。小さな石造りの彼の家のまわりでは、夕方の橙色の光がやわらかく畑を覆っていた。朱色に燃える西の空のきわでは、少しずつ暗くなっていく丘の稜線がなだらかに波を描いている。そのてっぺん近くにぽつんと一本立った樺の木が、風景をより優しく見せていた。
「ここの夕方はいいもんだな」
 窓から丘を眺めていたイザクがそう言った。
「たしかに市壁のなかでは拝めん贅沢だ」と、ダグラス。「しかしこんな、平和を絵に描いたような場所に本当に幽霊が出るのか?」
「それは今夜のお楽しみだな」と、これは奥に腰かけたツァランである。
「おまえが持参した酒にみんなして潰れて、せっかく出没してくれた幽霊にも気づかずじまいという可能性がないでもないが」
「なんだ、また酒の話をしてるのか?」
 驢馬の世話を一通り終え、外の井戸のそばで手を洗ってから入ってきたデューラムは、さっそくくつろいでいる仲間の様子に笑って言った。
「言っておくが、おれは今日は飲まないぜ。昨日今日と仕事をさぼっていたから、明日こそは早起きしなきゃならない。実のところ苗の仕込みはもうちょっと遅いくらいなんだ」
 ダグラスがにやりと笑い、「その心づもりだけは評価しておくぜ」と言った。
 簡単な食事の後、案の定、場は酒盛りへと発展した。昨晩、なかば酒のつまみのように話し合った「幽霊捕獲計画」においては、幽霊あるいは泥棒あるいは夜這い犯がデューラム以外の三人に気づいて姿を現さないことがないように、できるだけ三人の気配を消すということで意見の一致を見ていたのだったが、誰一人それを気にしているようには見えない。
(結局こいつら、あんまり本気で信じていやがらないな)
 デューラムは内心少しばかり不満だった。自分が困っているときに、わざわざ何の恩着せがましさもなくやって来てくれる仲間の存在はありがたかったが、自分の話が真剣に取り上げられていないのは悔しくもあった。ただその一方で、こうして気の置けない仲間と一杯やっていると、彼じしんもまた、数日前までの恐怖に現実味をおぼえられなくなってきているのも事実だった。もしかしたら、今日以降もうあの足音に苛まれることもないんじゃないか、あれはただの夢だったんじゃないか——そんな気がしはじめていた。
「しかしこいつはうまいよなあ。ダグラスは意外なところに特技があるよな」
 デューラムは麦のどぶろくに舌鼓をうちながら言った。じっさい、ダグラスのその酒のうまみとかぐわしさは、なんとも言えず人をやみつきにさせる魅力があるのだった。
「おまえ、明日早起きするから飲まないんじゃなかったのか」
 ダグラスがあきれたように言ったが、その顔は褒められてまんざらでもなさそうである。「まあ、こいつに関してはちょっとこつがあるのさ。教えられんがな」
「ぼくにすら教えてくれない」と、ツァランが顎をさすりながら、
「一度どぶろくを仕込んでいる最中にこっそり覗こうとして、絶交されかかったことがある」
「この野郎になんぞ誰が教えてやるものか!」とダグラスが毒づく。「こいつと来たら、目を離すとすぐに何瓶も自分の部屋に盗んでいこうとしやがる。そういう行いをあらためてもらわんことには」
「いや、そうは言うがな」とツァランが食い下がる。
「秘訣のひとつはこいつをねかす温度と湿度にあるに違いないんだ。この手の酒でものを言うのはそういう〈ねかし〉の環境だからな。だとすると、あの家の環境こそがこれを良酒たらしめているということになり、そうしてあの家の環境を今作っているのはぼくでもあるわけだから、ぼくとてこの酒を好きなときに享受できる権利があると思うのだ。論理としては一貫しているだろう?」
 イザクがあきれたように鼻を鳴らした。
「おまえとだけは、ほんと一緒に住みたくないな」と、デューラムも言った。よくもこう屁理屈ばかり瞬時に思いつくものだ、と感心すらしてしまう。
「我ながらよくやってると思うぜ」とダグラスが豪快に笑い、「しかしだな、こう見えてこいつは照れ屋でな。今日も実はこいつなりにおまえを心配して準備してきたものがあるんだぜ」
「そうだった」
 ツァランは持参していたずだ袋をかき回した。照れ屋と言われて健気に照れているようにも見えなかった。彼が取り出したのは、四、五枚の葉がついた常緑樹の一枝だった。ひとつひとつの葉は肉厚で、いくつもの棘をもつ独特の、だが誰の目にもなじみ深い形をしている。
「ヒイラギじゃねえか」と、イザク。
「そのとおり。みんなぼくのことを悪し様に言うが、そもそも今日なんのために集まったか、ぼくはきちんと覚えているのだぜ。こいつは悪霊撃退のまじないだ」
「これが?」
 デューラムは疑わしげに枝を持ち上げると眺めすかした。
「ヒイラギなんてどこにでもあるじゃないか。そりゃ、冬至のときに戸口にくっつけたりするのはよく見るが、本当にこいつなんかが幽霊に効くのか?」
「おや、ヒイラギの力を馬鹿にしちゃいけないな」
 ツァランはもったいぶった様子で腕を組んだ。「キャスコット・スクエアの化け物屋敷の話を知らないか? 一人の帽子屋がヒイラギで身を守ろうとした」
「おっ、その話なら知ってるぜ!」ダグラスが目を輝かせる。「あの赤い屋根の古い家だろ。仕立屋の隣の——」
 ダグラスによれば、その話とは次のようなものだった。


 市壁の中の一区域キャスコット・スクエアに一軒の家がある。その家はもう無人になって久しいが、ずいぶん前には気のいい帽子屋が住んでいた。彼は自分の仕立てた緑の帽子をいつでもかむっていることから、みなに親しみを込めて《緑帽》と呼ばれていた。
 だが、その《緑帽》はもう長いこと、夜間家の中を徘徊する不審な怪人物に悩まされていた。彼は一人暮らしのはずなのに、夜になると隣の部屋でどたんばたんと騒々しい音がしたり、ぼそぼそと呟く声が聞こえるというのである。
 憔悴しきった《緑帽》はある日、街角に住む魔女にどうしたらいいかと尋ねた。魔女は彼にヒイラギを身につけているとよいと言った。彼は半信半疑でヒイラギを魔女から買い、家に帰った。
 その晩、幽霊は出なかった。彼はぐっすり眠ることができた。あくる日も同じだった。そうして一月近くが過ぎた。彼は近所の人間に、もう幽霊なぞ怖くない、結局生きている人間こそが強いのだと啖呵を切った。
 だがある日を境に、《緑帽》は家から出てこなくなった。数人が彼を捜索しに家に入り込んだが、その姿はどこにも見あたらなかった。ただ彼の愛用していた帽子と、その髪の束らしきものがごっそりと、床に落ちているのが発見されただけである。以後、《緑帽》は忽然と消え失せてしまった。彼のお得意さんも誰一人として彼の行く先を知らなかった。結局幽霊屋敷が怖くなって逃げ出したのだろうという者もいた。だがその説とて髪の毛の謎については説明しなかった。
 《緑帽》にヒイラギを売った魔女は、だがこう言った。あのヒイラギは二十八日しか保たないと、あれほど言ったのに、彼は新しいヒイラギを買いに来なかったのだと。けっして忘れるなと、そう言ったのに。……


「ふうん、ヒイラギって凄いんだな」
 デューラムは唸り、興味津々に、「それで、《緑帽》は結局どこに行って、どうなったんだ? 幽霊に殺されたのか?」
 ダグラスはさあな、と答えて肩をすくめた。「おれが知ってるのはここまでさ」
 デューラムは眉を寄せた。「じゃあ、なんでその家にはそもそも幽霊が出てたんだ? そもそも、なんでその男が祟られなきゃならなかったんだ?」
 ダグラスはやはり、さあなと繰り返した。
 デューラムは再度唸る。「どうも腑に落ちないなあ」
 それまで黙って話を聞いていたツァランは、そこでふむと唸った。「面白いな」
「いや、面白いが尻切れとんぼじゃないか」
 デューラムは少し不満である。
「それが面白いのさ」とツァランは腕を組んだ。「実はぼくの聞いた話は後日譚がついている。こんなふうだ」
 ツァランの話とは次のようだった。いわく、《緑帽》が消えた後、一人の司祭がその家を調べた。彼は《緑帽》がつけていた日記を見つけ、彼が二十年前、ヘプタルクに移り住む前に、妻を殺していたことを探り当てた。妻は断末魔のさい彼の髪を一束むしり取った――そうして、彼は緑の帽子をかむりだすようになったのだと。妻があらわれたときに、彼の髪ではなく帽子を掴むようにと。そうすればすぐに逃げられるからと。神父は浄化のお祓いをし、以後、その家で幽霊が出るという噂は聞かれなくなった。
「ふむ」
 ダグラスがどぶろくを一口飲んで、「そっちのほうが理にかなってるし、きちんと結末があるな」
「しかしどこかで聞いたような話だな」と、イザクは疑わしげである。
 だが、ツァランは「まさしくその通りだ」と素直にイザクの言葉に同意した。「実のところ、ぼくもダグラスの話のほうに興味がある。こういう話というのはどこか不条理と謎を残したままの方が粋じゃないか」
 それにしてもデューラムには納得がいかない。
「粋だろうと無粋だろうと、いつ誰が祟られるのかもわからず、しかも祟られっぱなしじゃあ割に合わないぜ」
 ツァランはそれを聞いて笑った。「まあそうだ。だがな、現実に出会う恐怖なんて割に合わないものばかりじゃあないか? おそらく、その割の合わなさを不満に思った無粋な輩が、いかにも怪談らしいオチを付け加え、ぼくの聞いた話を作りあげたというわけだ。幽霊の正体と、恐怖譚の終わりを、だな」
 彼はそこで唇の横に、いつもの皮肉めいた皺を刻んだ。「しかし根源的な恐怖というのはそもそも、わけのわからなさから大部分発するものだ。そうは思わないか」
「根源的な恐怖なんて御免こうむるよ! おまえも自分で祟られてみりゃあいいんだ」
 そんなデューラムの異議申し立てにも、ツァランは涼しく笑っているばかりだった。結局、人ごとなのだ。デューラムは彼をにらみつけると、ヒイラギの枝をもう一度持ち上げた。どの角度から見てみてもごく普通の枝だった――ランプのあかりにすかしてみても、そこにはなんの神秘も見いだせなかった。


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