盗人たちの灯 2
<<< >>>

E WILL COME BACK".





 不穏な噂は、墓荒らしと装飾品どろぼうだけでは終わらなかった。次の噂は、墓荒らしの件が街をにぎわしてから、およそ十日ほどしてやってきた。そしてそれは、前の二件よりも血なまぐさい話だった。街の南に住む金貸しが殺されたのである。
 その金貸しにはもとより良くない評判があった。目に見えて悪徳というのではないが、下町の連中の誰々がその金貸しから借りてすっからかんに干上ってしまったとかいう話を、アルマですら二、三度耳にしたことがあった。しかしその金貸しも自分が多数の人間の恨みを買っていることはよくよく知っていたようで、夜にはいつでも扉という扉に頑丈なかんぬきをかけ、窓という窓の雨戸をぴっちりと閉ざし、さらには用心棒も雇って眠りについていたのだった。そのうち一つの雨戸と硝子が、斧のようなもので正面からたたき壊されていたのだ。それでも不思議なことに、雇われ用心棒も、周囲の住人たちも、誰も凶行が起こっていることに気づかなかった、というのである。
 金貸しは寝台にあおむけに横たわったまま、鋭い刃物で首を切り裂かれていたらしい。枕と布団は血をしこたま吸って、ずっしり重くなっていたという。寝室に置いてある金庫の鍵も、やはり斧のようなもので破壊されていたという話だった。
 噂を聞くなり、アルマは嫌な予感をおぼえた。正面から窓や扉が壊されて侵入されているのに、周囲の住人が誰も不審な音を聞かない……前回の装飾品どろぼうとやけに似通っていた。さらに言えば、ヒルダが懸念していたあの言い伝えとも、ずいぶん共通した部分があった。その噂を聞いた次の日に、アルマは店が閉まってから酒場に向かい、エーリーンをつかまえた。酔っぱらった飲み仲間らに「付き合いが悪い」と口々に文句を言われながら、まだ飲みたりなさそうな顔の彼女を酒場の外に引っ張り出す。
 「盛り上がってるところ、悪かったけど」と、酒場から<ロバートの武具店>に帰る道を歩きながらアルマは言った。「お金貸しの人が殺された話、あなたも知ってるでしょう。あれが気になって……ちょっとヒルダのところに行ってみようと思って」
 「うーん」と、エーリーンは酒でうっすら上気した顔をてのひらで冷やしながら、「たしかにあの噂は変だったけど……あれがヒルダって人の旦那だってわけ? 刃物で家主の首を切り裂いちゃうくらい残忍な男って、それ、ちょっと怖いんじゃなくって」
 アルマは唸った。たしかに、人を殺すことを厭う気持ちすらない、刃物を帯びた男に、自分たちだけで対処できるのだろうか。しかも、もし——もし伝承を信じるのならば、相手は自分の姿を消すことができるのだ、<盗賊たちの灯>をもっている限り。
 「でも……何も、パーベルをとっつかまえるってわけじゃないし」
 「じゃ、どうするの?」
 たしかにそう聞かれると、答えに窮した。エーリーンを呼んできたところで、どうしようというのだろう。
 「デューラムたちにも頼んだら良かったかな」
 「ああいううるさい人たちが大勢で待ち構えてるところに、のこのこ出て来てくれるとも思えないけど」
 それはそのとおりだった。
 「ね、エーリーン」とアルマは先日聞いた話を思い出しながら、「<盗賊たちの灯>を持ってる人は、目にも見えないし、どんな音を立ててもまわりが目をさまさないんでしょう。もしそれがほんとなら、その効き目を破る手だてはないの」
 エーリーンは細い眉のあいだにしわを寄せた。「あたしの知ってる言い伝えだと、<盗賊たちの灯>の火がつく前に起きてた人間には、眠りの魔法は利かないし、それにその火さえ消せば、魔法の効果はたちどころに消え失せるはずだったかしら。
 ……ある家に<灯>を持ったどろぼうが老婆の変装をして入り込んだとき、下働きの女中がひとり、老婆のずぼんが男物なのに気づいて、こっそり寝ずの番をして……それで、どろぼうが見てないすきにテーブルの上に置かれた<灯>の火を消して、撃退したって話があるわ。だけど、この火ってのが少しやっかいで、なまなかなことでは——」
 そこまで言って、エーリーンはふと言葉を切って立ち止まった。
 「アルマ。ロバートん家(ち)の前に誰かいることよ」
 言われてアルマも、黒い人影が戸口のそばにうずくまっているのにようやく気づいた。足を止めて意識をこらすと、人影は薄闇の中で体をちぢめ、泣きじゃくっているようだった。
 「ヒルダ!」アルマは駆け寄った。「大丈夫?」
 「ごめんなさい」とヒルダは泣きそうな声で言った。座ったままで二人を見上げ、うまく声が声にならないほど全身を震わせながら、「突然おしかけて——あたし、もう……家にいられなくて——」
 「とにかく中に入って」
 アルマはヒルダを支えるようにしながら、戸口を開けて中に招き入れた。エーリーンがちらちらとヒルダを見ながら、後に続く。
 ロバート夫妻はもう寝室のある二階に引っ込んだようで、店は静かだった。カウンタ前の椅子に座ったヒルダはみじめなほどやつれている。長い間泣いていたのか、目は真っ赤に腫れ、涙の筋が頬に幾筋も走っていた。部屋着のまま家を出て来てしまったようで、薄手のブラウスの上に何も羽織っておらず、肩を抱くようにしている。アルマはカウンタの脇に丸めてあった自分のショールを彼女の肩にかけようとして、異様なものに気づいた。
 「ヒルダ、その血どうしたんです」
 彼女のブラウスの袖から胸の下あたりに、べっとりと赤黒い血痕がついていたのだ。その手にも乾いた血がこびりついている。
 「どこか怪我をしてるの?」
 ヒルダは下を向いて、力なく頭を振った。「あたしのじゃないわ。パーベルよ」
 「パーベルって——彼は今どこ?」
 「死んだわ」
 アルマは眉を寄せた。「なんですって?」
 「死んだの。あたしが殺したの」
 自分に言い聞かせるように呟くなり、ヒルダはわっと泣き出した。アルマはヒルダの肩を抱いてやりながら、エーリーンと視線を交わした。事態は思わぬ方向に向かっているようだった。
 「ヒルダ、落ち着いて。何があったか話せますか」
 アルマは彼女の顔をのぞきこんで、そう尋ねた。ヒルダがしゃくりあげながら話した内容は、以下のようなものだった。


 その前日、金貸しが殺された話を耳にしてすぐに、ヒルダもまた強い不安に襲われた。正面の窓が堂々と壊されていたのに誰もまた目をさまさなかった、という事情だけではない。くだんの金貸しは、パーベルにもちょっとした額の金を貸していて、それが彼ら夫婦を苦しめていたのだった。折に触れては家にやってくる借金取りに、罵倒され貶められる生活が、ここ二・三年続いていた。パーバルはその金貸しのやり口をひどく憎んでおり、いつか殺してやると口走ることが日頃からよくあった。もちろん、それが本気であるわけではないと、ヒルダは思っていたわけだが。
 ——まさか、パーベルが人殺しなんてするわけが。
 そうは思った。思ったのだが、いったん沸き上がってきた不安は容易に去ってはくれなかった。
 ——だって、あの装飾品と銀貨はなんだというのだ。毎日の生活だって楽ではないのに、盗み以外にどうやって、あんなものが手に入る? それにパーベルはいま働いてもいないのに……でも、パーベルが人殺しをするわけがない……。
 堂々めぐりの思考をぐるぐると繰り返したのちに、ヒルダはひとつの理屈を見つけ出した。
 ——もしかして、彼は何かに巻き込まれているのでは。そうだ、だまされているにちがいない。きっと、自分が教えたあのまじないを誰かにしゃべってしまい、その悪い誰かの手伝いをさせられているのだ……。だとすれば、彼がなにか取り返しのつかないことをしでかす前に、一刻も早く彼を助けてやる必要があるのではないか……
 筋が通っているのかも分からぬその理屈を自分自身に言い聞かせ、とうとうヒルダは街の衛兵に届け出た。夫がやったのではないと思うけれども、もしかしたら装飾品どろぼうと高利貸し殺しについて、自分の夫が何か知っているのかもしれない、と。当番の衛兵はじろりとヒルダを見て、なぜそう思うのかを聞いた。まさか自分が夫に話した胎児の指のまじないのせいとも言えず、ヒルダは夫が金品の入った袋を持っていた、とだけ言った。だがそれは衛兵の注意をひくに十分な材料だった。衛兵は同僚を呼び、三人ばかり連れ立って、ぞろぞろとヒルダの家にやってきた。高利貸しの死体が発見されてから、二日が経った夜——昨晩のことだった。
 いったん衛兵を呼んでしまうと、とたんにヒルダは後悔しはじめた。夫が人殺しなのではないかと疑った自分の薄情さを、ヒルダは責めた。優しかったパーベルの笑顔と、自分を抱きしめてくれる腕の感触が次々と思い出されては彼女を苦しめた。衛兵など呼ばなくても、ほかにいくらでもやりようはあったのではないか。
 ——どうか、今日だけは姿を現さないで。
 そうヒルダは祈った。衛兵が諦めて帰って数日して、ほとぼりが冷めてから、何事もなく戻ってきてほしい。そして、あの装飾品や金はまっとうに手に入れたもので、どろぼうとはなんの関係もないと、そう説明してほしい……
 戸を叩く音がしたのは、そんな時だった。
 ヒルダは弾かれたように顔を上げた。
 「ヒルダ」と聞き慣れた声がした。小さい、ささやくような声。「開けてくれ、ヒルダ、早く……」
 狭い部屋のなかに並んで立っていた衛兵がたがいに目くばせし、ヒルダに対し顎をしゃくってみせた。
 ヒルダはよろよろと戸口に向かい、扉越しにささやいた。「パーベル。パーベルなの?」
 「そうだ、おれだ」とささやき声。「早く開けてくれ。あまり人に見られたくないんだ」
 「パーベル」ヒルダは泣き声で言った。「いったいどこに行ってたの? 何をしてたの?」
 衛兵が後ろから彼女をつつく。早く開けて彼を入れろ、というのだ。そのときヒルダは、自分が夫を破滅させようとしているのだということを、はっきりと自覚した。——「助けてやる」? 衛兵に夫を売り渡して? それがなんの救いになるものか、自分は夫を裏切ったのだ! ヒルダは気が遠くなりそうなほど後悔したが、すべてはあとのまつりだった。彼女はゆっくりと扉を開いた。
 転がり込むように家の中に入ってきたパーベルは、ほっと気が抜けたようにヒルダに笑いかけ、次の瞬間——目をしばたたかせて、周囲に立つ、鎧で身を固めた見慣れぬ人影を凝視した。彼の手には見慣れない大きな革袋が握られていた。それからパーベルは妻に目を戻して、言った。
 「ヒルダ?」
 「パーベル」ヒルダは泣きながら言った。「ごめんなさい、パーベル、ごめんなさい」
 パーベルの表情が、ゆっくり、ゆっくりと変化していった。顔色が桃色になり、ついで真っ赤になって、すうっとこめかみに血管が浮き出た。彼の唇がぶるぶると震えているのを、ヒルダは見た。
 殺してやる、とパーベルは一声叫んだ。そしてヒルダに向かって飛びかかってきて——
 それから、何が起きたのかヒルダにはよくわからない。気がつくと、自分は部屋の床にしりもちをついていて、パーベルがすぐ目の前にうつむきに横たわっていた。脇腹のあたりから床にできた血だまりが、みるみるうちに大きくなっていった。彼の手のかたわらには、どこに隠し持っていたのか、抜き身の大きなナイフが転がっていた。ヒルダにナイフで襲いかかろうとしたパーベルを、斜め後ろから衛兵の一人が斬りつけたのだとわかるまで、少し時間がかかった。
 衛兵の一人がパーベルの持っていた革袋を開け、金ですと言うのが聞こえた。——おそらく高利貸しの金庫から奪ったものでしょう——
 パーベルは断続的に体を痙攣させながら、ゆっくりと頭をあげ、彼女のほうに顔を向けた。ヒルダは床を這いずってパーベルにすがりついた。泣きながら彼の体を抱き起こす。パーベルの焦点の合わない目は、彼女か、その後ろか、どこかよくわからない場所を見ていた。
 そしてパーベルは呟いたのだ。
 ——騙したな、ヒルダ。
 ——殺してやる。

 
 「そうして死んだの、あの人」
 ヒルダはショールをたぐりよせるように体にきつくまきつけた。
 「衛兵たち、彼もナイフも袋もみんな、どこかに運んで行ったわ。——今朝になると、まるでなんにもなかったみたいなの。ただ床の血のしみだけ……」
 言って、ヒルダは両手で顔を覆った。「ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。あたしがいけなかった、あたしがパーベルを裏切ったからだわ。どうして衛兵のところになんて行ったんだろう」
 「ヒルダ」アルマは彼女の肩をさすってやった。「それを言っても、しかたないわ。それにパーベルがあれを——どろぼうや人殺しをしたんだったら、衛兵につかまるのは時間の問題だったのかもしれないし」
 「でも、あの人あたしの旦那だったのよ。たとい何をしてたって、あたしが最後まで許して、逃がしてやるべきだったのよ。ああ、あたし、殺されるんだわ」
 アルマは眉を寄せた。「誰にです」
 ヒルダはうつむいたまま唇を震わせた。消え入りそうな声で彼女は言った。「パーベルよ」
 アルマは呆気にとられ、ついで眉を寄せて、ヒルダの肩をゆすぶった。「落ち着いて、ヒルダ。彼は死んだんでしょう? たった今、あなたがそう言ったんじゃないの」
 「ええ、そうよ。あの人、死んだわ」と、ヒルダは泣き笑いを浮かべ、
 「でも、あたしわかるの。あの人、来るわ——あたしを殺しにくるの。絶対に殺してやるって、いまわのきわにそう言ったんですもの。だから、あたし、怖くて。ひとりで家にいられなくて」
 アルマは当惑した。ヒルダは錯乱し、まともな判断能力を失っているようだった。無理もない、自分の密告のために夫を死に追いやってしまったのだ。どうしたものかと思案しながら、ふとエーリーンを見上げると、彼女はむつかしい顔をしてふたりの横に突っ立っていた。
 「来ると思うのね。彼が」
 突然の台詞に、ヒルダが驚いたように顔を上げる。
 「じゃあ、来るかもしれないわね」
 理屈の通らないことを呟くと、エーリーンはちらりと窓から外を見た。ヒルダを見つけたときにはまだうっすら明るかった外は、もうすっかり暗くなっていた。
 仁王立ちのエーリーンにヒルダは初めて気づいたといったふうで、不審そうに「この人、誰」とアルマに尋ねた。
 「わたしの友だち」とアルマは答えたあと、なんと説明したものか困り、「頼りになるの」と付け加えた。
 そんな二人の会話にも頓着する様子なく、そうね、とエーリーンはひとりごちた。「じゃあ、おうちに行ったほうがいいかしらね」
 ヒルダはびくりと身をすくめた。「うちって、だって……うちには怖くていられないから、あたし」
 「そりゃ、ここやアルマの家にいたら、しばらくはやりすごせるかもしれないわ。でもずっと家に戻らないわけにはいかないし、その旦那さんがいつか、ここまで追っかけてこないって保証だってないのよ」と、エーリーンはいつになく厳しい声で言った。
 「だったら今日、迎え撃つのも変わらないわ。——出かけるわよ」


<<< >>>

 NOVEL INDEX  TOP