盗人たちの灯










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ABY'S FINGERS.






 市壁の外の共同墓地に墓荒らしが出たという。
 一人の女の死体が掘り返されているのが、ある朝見つかったのだ。
 下町に暮らす、身寄りのない女だったらしい。まださほどの年ではなかったけれども、日頃の不養生がたたってか、ちょっとした病でぽっくり死んだのだった。墓地の中には、物乞いやら、春を売る者たちやら、寺院に見放されたその他の者たちやら、そういう輩ばかりが埋められる一画が設けられていて、女の遺体もそこにひっそりと埋葬された。墓が暴かれたのは、その二、三日後のことだったという。
 遺体は陰惨な状態で放置されていたらしい。胴体が斬りつけられ、あたりには臓物らしきものさえ散らばっていたという話だ。
 まるで腹の中の何かを誰かがまさぐり探したかのように。
 そして噂によれば、死んだ女は妊娠していたということなのだった。


 ——いやな話。
 出かける前に雇い主のロバートに聞いたその噂を鬱々と思い出しながら、アルマは日の傾きかけたヘプタルクの都の下町を歩いていた。彼女が店番兼下働きをつとめている《ロバートの道具店》の女主人エマから、ラードと粉を買って来るように頼まれた、そのお使いの途中である。
 先ほど買ったラードが潰れていないか、かごの中を整理しながら、アルマは溜息をつく。気味が悪いのは、まだその墓荒らしの犯人が捕まっていないということだ。さすがに、まだ日も高いこんな時刻に往来の真ん中で怪人に出くわすとは考えにくい。けれども、死体の腹をかっさばくなどという行為に及んだ人物が、蛮行に用いた斧をたずさえつついまだに街のどこかをうろうろしているなど、考えただけでぞっとしない。
 ——しばらくは酒を飲みに出ても早めに帰宅した方がいいのかもしれない。
 そんなことを考えながら粉売りの扉を開いたアルマは、思わず「あら」と声をあげた。「ヒルダ。久しぶり」
 店の中にいた先客は、顔見知りの洗濯女だった。近所の宿屋に出入りして、リネン(注:敷布や毛布カバーのこと)の洗濯をして生計を立てている女だ。その宿屋に林檎酒(サイダー)やエールを買いに行ったりするときに、アルマもたびたび顔を合わせる。親密とまではいかないが、会えば話をする仲である。
 ヒルダはアルマのほうを見てあいまいな笑顔を返した。「元気?」
 「わたしは元気ですよ。なんだか近頃おっかない噂ばかりだけれど」アルマは苦笑して答えつつ、店の主人に粉を注文した。手だけでなく肩や首まで粉で白くしている店主が、あいよと返してくる。
 ヒルダは「そう」だか「よかった」だか、口のなかでもそもそと返事をして、すぐに目をそらし、先に注文していたらしい粉を店主から受け取った。アルマは首をかしげた。彼女はもともと快活で、こんなに無愛想な応対をすることは珍しい。
 「……元気にしてました? パーベルは?」
 アルマは少し躊躇しながら質問を重ねた。ヒルダの夫、パーベルは商店の手伝いなどをしている男だったが、ひとつのことを長く続けることができず、新しい仕事を始めてはすぐにやめたり、ふと旅に出てしばらく帰ってこなかったり、かと思えば変ながらくたを仕入れて市で売ろうとして失敗するなど、ふらふらしてはヒルダを困らせていた。実のところアルマは彼女に会うたびに、必ずと言っていいほど甲斐性なしの宿六の話を聞かされていた。ヒルダは気だての悪い女ではないが、夫の話題となると悪態に歯止めがかからなくなる。それでも彼女が夫のことを真剣に心配しているのはよくわかったし、生活費をろくに稼がない夫を養うためにも人一倍働いているのを知っていたから、アルマも少々閉口しつつ、彼女の愚痴につきあっていたのだった。
 だから、パーベルの名にヒルダがぎょっとしたような表情を見せたことに、アルマは多少なりとも驚いたのだ。ヒルダは視線を落ち着きなく動かし、それから下を向いて、「元気よ」だか「大丈夫よ」だか、また適当であいまいな返事をよこした。アルマはさらに不審に思った。ヒルダの反応は、まるで何かに怯えているかのようだった。
 「待って、ヒルダ」
 あいさつもそこそこに店を出て行こうとする彼女を、粉を受け取りつつアルマは呼び止めた。「方向が同じですから、途中まで一緒に歩きません?」
 店を出ても、ヒルダはいつになく寡黙だった。口数が少ないだけではない。裏通りや小道を通り過ぎるたびにじろじろと左右を見て、ずっとあたりを気にしている。ささいな物音がしたかと思えば、びくりと体をすくめて足を止めてしまう。
 ——どうしたの、ヒルダ。今日は変ですよ。
 《ロバートの道具店》のすぐ前まで来たところで、アルマが思い切ってそう聞こうとしたとき、「おうい、アルマ」と後ろから声がした。振り返ってみると、ちょうど店の中からロバートが出てこようとしているところだった。
 「ちょうど良かった、これからエマと二人で出かけてくる。少し遅くなるかもしれないから、先に帰っててくれ」
 「あ……はい」とアルマはタイミングを崩されつつ、「わかりました」
 「今日は戸締まりにとりわけ気をつけてね」と、ロバートのあとから出て来たエマが、アルマの耳に口をよせてささやいてくる。「近所で盗みがあったんですって。三つ通りを行ったところにある装飾具店を知ってる? あそこらしいのよ。夜中に表通りに面した窓が破られて、さぞ大きな音がしたのでしょうに、誰も気がつかなかったんですって。高価なものがごっそり取られたって話よ。いやだわねえ」
 いやですねえとアルマは返し、出かけてゆく雇い主の二人を見送った。それから溜息をついて、「ほんとうにきなくさい噂ばかり、ねえ」とヒルダを見やり、そしてぎょっとした。
 ヒルダは見目にもわかるくらい、がたがたと震えていた。
 「アルマ」と彼女は言った。「アルマ、あたし、どうしよう。どうしよう」
 言うなり、ヒルダが往来に突っ立ったまま泣き出してしまったので、アルマは慌てた。
 とりあえず、泣きじゃくる彼女をなだめすかして店の中に入れ、カウンタの前の椅子に座らせ、冷たい水を渡す。その後どうしたものか途方にくれて、向かいに座ってしばらくぼうっとしていると、そのうちヒルダは落ち着いてきたのか涙をぬぐって「ごめんなさい」と言った。
 「取り乱してしまって。でもあたしどうしたらいいのか、パーベルが……」
 「パーベル?」
 「そのどろぼうの犯人、パーベルなんだわ。あたし、わかるの」
 アルマは驚き呆れた。ヒルダの夫パーベルには彼女も会った事がある。たしかに頼りなげで、そのわりには調子がいいところがあったけれど、そこまでの悪行におよぶような人間には見えなかった。なにより、ヒルダはもう数年間も、困った夫を若い身空で支えてきたのではないか。
 「ひどいことを言っちゃいけません」とアルマはたしなめた。「パーベルはちょっとふらふらしているけれど、そんなことする人じゃないでしょう」
 ヒルダは唇を噛んだ。「あたしだって最初はそう思ったわ。でも話を聞けば聞くほど、パーベルだとしか思えなくなるのよ。だって、あの墓荒らし……あれ、あたしが教えたそっくりそのまんまなんですもの。ああ、あたし、どうしよう」
 「墓荒らし?」
 アルマは眉を寄せた。墓荒らしと言えば、例の娼婦の件に違いあるまい。「どういうことなの?」
 「言ったって信じやしないわ」
 「言ってみないとわからないでしょう」
 ヒルダはしばらく迷うように、どこかうらめしそうに、うつむいていた。けれども、そのうちぽつりぽつりと、以下のような話を語り出したのである。


 それは、いつものようにパーベルが七日ほどいなくなった後ふらりと帰ってきた、その晩のことだった。何か新しい商売でも始めようとして、またそれがうまく行かなかったのだということが、ヒルダにはすぐにわかった。いらいらしていて、言葉尻や態度がいつもよりずっと乱暴で、何も言わずに長いあいだ留守にしたのを謝りもしない。けれどもヒルダは、パーベルが留守のあいだ言おう言おうと考えていたことを、思い切って頼んでみた。
 ——お願い、パーベル、こつこつ働いてちょうだいな。
 —— 一攫千金なんか、目指さないで、ね、
 ——あたしも働いているから、それで食べていけるんだから。
 すると、パーベルは人が変わったように激怒して、お前になにが分かると怒鳴った。あまりの剣幕で罵倒され、ヒルダは泣きながらパーベルの食べ散らかした夕食の後かたづけをした。一緒になって以来、何度となく繰り返されてきたやりとりだった。
 けれども、ヒルダに乱暴な言葉をぶつけた後、パーベルはきまって手のひらを返したように彼女に優しくなる。そういう態度は女を殴る男に典型的なのだと、ヒルダは仕事仲間の洗濯女に聞いたことがあった。彼らは女をなじり、殴ったあと、いつでも優しく女を抱きしめて、殴って悪かった、もう二度としない、一緒でないと生きていけないと甘い言葉をささやく。それにころっと騙される女の方も悪いのよ、と仕事仲間は言った。ヒルダにはわからなかった。
 ——だって、パーベルは殴りはしない。いつもは優しくて、自分のほうが威張っているくらいだ。家にいるときは家事の手伝いも二つ返事で引き受けてくれる。いつもヒルダを可愛い可愛いと言ってくれて、気の利いた小さな贈り物をくれたりもする。ただ、何ヶ月かに一度ふらりといなくなる、あのときだけだ。彼を怖いと感じるのは、あのときだけ……。
 その晩も例外ではなかった。夫に背を向けて裁縫をしていたヒルダを後ろから抱きしめて、すまなかったとパーベルは言った。——おまえはいつでもおれを支えてくれる、おまえがおれのことを一番わかってくれている……
 それからふたりはキスをして、寝床に行った。ヒルダはかすかな空しさを感じたが、夫がいつも以上に気を使って、ていねいに優しく体を重ねてくるのを感じ、やはり嬉しさと愛しさを感じないわけにはいかなかった。
 ことが終わって、ヒルダはパーベルの横でぼんやり横たわっていた。夫が留守の間は別れることを何度も考えていたのに、こうして彼が帰って来てみれば、もう別れを告げることなど考えられないのだった。パーベルは彼女の髪を撫でながら、なにか面白い話を聞かせてくれと言った。ヒルダの祖母は語りべで、ヒルダ自身も祖母の揺り椅子のかたわらで、不思議な話、おとぎ話、怖い話などを聞かせられながら育った。パーベルは古い物語に興味があるようで、時たまこうして子供のように、昔話をヒルダにせがむのだった。
 ヒルダは調子のいい夫にちょっぴり仕返しをしてやるつもりで、その晩は趣味の悪い、奇怪な話をしてやることにした。それは祖母が若い頃にヘプタルクの街を訪れた旅人から聞いたという、異国の古い言い伝えだった。
 ——この世には、盗みを絶対に成功させるための魔法の道具がある。《盗人たちの灯(ともしび)》と呼ばれる道具だ。これを使った者は、自分の姿を目に見えないようにすることができる。また、盗みに入った家でどんなに暴れ回ろうとも、周囲はみなぐっすりと眠ったまま、盗みの間中、けっして目をさまさない。だからけっしてつかまらない……。
 ——問題は、《盗人たちの灯》をどうやって手に入れるかだ。これは自分で作らなくては効き目がない。そして、その作り方も簡単ではない……なんと、《盗人たちの灯》は赤子の指から作られるのだ。
 ——それも、普通の赤子では駄目だ。産み落とされる寸前の、女の腹のなかの胎児の指でなくてはいけない。
 ——これを手に入れるにはいくつかの決まった手順をふまなくてはならない。まず、深夜にまじないの文句を唱えながら墓地へ向かう。神への祝福を口にしてはいけない。悪魔に捧げる文句か、魔術の言葉でなくてはならない。そして埋葬された死人を掘り出し、斧かナイフであわれな死人の腹を開き、中の赤子を取り出すのである。そして赤子の指を切り落とし、持って帰る。死体を掘り出し、胎児を女の腹から取り出すときには、完全に沈黙していなくてはならない。一言も発してはならない……。
 ——かくして手に入った胎児の指は、いつでも蝋燭として使うことができる。どれだけ燃やしてもこの指はけして短くなる事がなく、いつも同じ長さである。この灯りを燃やしている間は、盗人は好きなだけ自分の姿を消すことができる。またこの灯りのなかでは、どれだけ濃く深い闇のなかでも、すべてを見通す事ができる……。
 気味の悪い話でしょう、とヒルダは言ってやった。おばあちゃんはたまにこんな話をしてちっちゃなあたしを怖がらせたの。
 パーベルは興味深そうにヒルダの話を聞いていた。話が終わると、彼はふうんと唸り、そいつは本当に効くのか、と言った。ヒルダは笑って、さあねえ、と答えた。
 それからしばらくして、パーベルはまたふらりといなくなった。以前は彼がいなくなるのは数月に一度のことで、こう立て続けに姿が見えなくなるのは珍しかったから、ヒルダは少し心配になった。墓荒らしの話を彼女が聞いたのは、そんな折である。
 彼女は最初耳を疑った。そして怖くなった。埋葬された孕み女の遺体が夜中に掘り起こされ、その腹が裂かれる。胎児がどうなっていたのかまで噂は詳しく語らなかったけれども、自分がパーベルに聞かせた伝承と、やけに似ていた。偶然だ、とヒルダは自分に言い聞かせようとした。だがいやな気持ちがいつまでも胸の中をぐるぐる回っていた。
 そして、昨晩のことである。パーベルが数日ぶりに帰ってきたのだ。せわしなく扉を叩いて家の中に入ってきたパーベルは、やけにぎらぎらした目をしていて、その口調は熱っぽかった。
 ——いままで苦労をかけた。ヒルダ、愛してるよ。
 ——でも、もうおまえも働かなくて済むんだ。幸せにしてやるよ。
 ——とりあえず、しばらくこれで食ってくれ。おれはまた少し出かけなくちゃならん。
 そう言い残し、ヒルダの手に何か布包みを押し付けて、パーベルは止める間もなく家を出て行った。ずっしりと重いその布包みをヒルダが開けてみると、中には金の首飾りやブローチ、銀貨などがぎっしりと詰まっていた。ヒルダは仰天した。生まれてこのかた手にしたことのないような品物と金額である。
 ヒルダは怖くなった。夫を信じたかった。けれども、もしかするとという思いがどうしても捨てきれないのだった。


 「おばあちゃんのあの話なんて、迷信だと思ってた」と、ヒルダは震える声で、「でも、本当だったんだわ。さっきエマが言ってたどろぼうはパーベルなのよ。お墓から掘り起こした赤ちゃんの指に火をつけて盗みに入ったから、誰にも気づかれなかったんだわ……」
 アルマは唸った。突拍子もない話だったし、偶然の一致にすぎないだろうと思った。だが、気味の悪い偶然であることは確かだった。
 「ああ、あたしのせい」とヒルダは泣きそうな顔をして言った。「あんな話、彼にしなければよかった! いまじゃパーベルが帰ってくるのが怖くてたまらないの。ひどい女だわ、あの人あたしの旦那なのに……でも、死体を切り刻むなんて、怖くて——あたし」
 「落ち着いて」
 アルマはヒルダの肩に手を置いて、「まだ彼と決まったわけじゃないし、ただの偶然かもしれないわ。しばらく彼の帰りを待って、様子を見てみたら? そのうち別な人が墓荒らしやどろぼうとしてつかまるかもしれませんよ、そしたら」
 気休めだったが、ほかに言いようはなかった。
 ヒルダは目を伏せた。それから少し笑って、話を聞いてくれてありがとう、少し楽になったと言った。
 







 ヒルダがそうして帰って行ってから、数日が過ぎたころである。アルマがいつものように店番をしていると、友人のエーリーンが暇そうな顔をしてやってきた。この赤毛の娘は酒場や街角で竪琴をひいて生計を立てているから、昼間は暇らしい。仕事が早く始まらない日の昼下がりは、こうして時たま《ロバートの道具店》にやってきて、時間をつぶしてゆく。たいていは店の売り物を延々とつついて無責任な文句をつけるだけで、何も買わない。小型の竪琴を持っているときは、その練習をしている場合もある。アルマはエーリーン独特の幼げな女くささが正直すこし苦手であったので、なぜ彼女がしょっちゅう自分のところに遊びに来るのかよくわからない。けれどもエーリーンのほうはと言えば、アルマを——というよりもこの《ロバートの道具店》を——やけに気に入っているようなのだった。
 その日もエーリーンは、他に客がいないのをいいことに、棚から蝋燭の包みをひとつ引っ張り出して、匂いを嗅いだり転がしたりして遊んでいた。その様子を呆れながら見ていたアルマは、ふとヒルダの話を思い出して聞いてみた。
 「ね、《盗人たちの灯》って知ってる」
 エーリーンは急な質問にけげんそうに顔を上げたが、「知ってるわよ」と答えた。「とっても有名な魔法の道具だわ。死体から切り落とした手を燭台にして、あかりをつけて家に入ると、盗みが成功するっていう」
 「やっぱり、そうなんだ」
 アルマは身を乗り出した。エーリーンは語りべの文化のさかんな土地から来たとかで、おとぎ話や昔話のたぐいにはめっぽう強い。気まぐれで、あくが強く、御しにくい娘だが、こういうときには頼りになる。
 「実は自分の旦那さんがその《盗人たちの灯》を手に入れたんじゃないかって、わたしの友達が言ってるのだけど」
 ざっと一部始終を聞かせると、エーリーンは「ふうん」と言って、何か考えるように眉間にしわを寄せた。
 「その、生まれてない赤ちゃんの指を蝋燭にするっていうのが気になるかしら……なんだか本格的だわ。洗礼を受けてない赤ちゃんって、不思議な存在なのよ。まだ『この世の者』として認められてないってことになるんですもの。命があるけれど、まだ『あの世の者』……だから、妖精の世界だとか魔術の世界に近いところの生きものなんだわ。フライアズ・ランタンの話をおぼえてるでしょ?」
 アルマは頷いた。以前、夏祭りの時期に鬼火が街を飛び回っていると噂されたとき、鬼火(フライアズ・ランタン)はお産で死んだ赤子の魂であるという言い伝えについて、聞いたおぼえがある。
 「あれも、洗礼を受ける前の子どもの魂だ、というところが大事なのだし」と、エーリーンは蝋燭を一本、指でもてあそびながら、「胎児のまま死んだ魂は無垢で罪を犯していないけれど、神様の世界にも、人の世界にも、もちろん地獄にも、どこに属してるわけでもないの。だから、三つの境い目をふらふらさまよう存在なんだわ……」
 「うーん」
 つかみどころのない話だった。この世とあの世の境界と言う語は神秘的な香りがしたが、とはいえ、ぴんと来るものではない。しかし、ヒルダの陰鬱な物語も、やはりつかみどころがないものではあった。
 「ね」と、アルマは言った。「わたしにはよくわからないから、今度ヒルダの話を聞いてやってくれない」
 するとエーリーンは大きな目で不満げに睨みつけてきた。「アルマって意外と調子がいいんだわ。ふだんは友達のあたしが遊びに来ても、てんで素っ気ないくせに、こういうときだけ頼りにしようとするんだから」
 「素っ気なくなんか」アルマは慌てた。図星なので、よけい取り繕いに困る。
 その様子をじろじろ見ていたらしいエーリーンは、アルマの狼狽ぶりに満足したらしく、にんまりと笑った。「まあ、いいわ。今回だけは貸しにしといてあげる。そのかわり、次はきっとあたしにつきあってもらうわよ」





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