PHRODISIACS.
THE FELLOWS IN AWE.

4


 「だけどその妖精の舞踏の跡っていうの、それこそ茸がはえてたんじゃない?」
 不思議ちゃんを追求するのに飽きたクリッサがそう言ったので、デューラムは目をぱちくりさせた。
 「ああ、確かに生えてた。そこの茸も採ってきたよ。じゃあエーリーンの話は本当なのか?」
 「さあ、どうかしらねえ。エーリーンが本当だって言うのならそうなんじゃないの」
 クリッサの答えは、しかしながら無責任なものである。「わたしが知ってるのは、妖精の輪(フェアリー・リング)を探せばたいてい茸が見つかって、そのなかには色々な薬の材料に使えるのがあるってことだけよ。たとえば、安産の妙薬とか、お腹を整える薬だとか……なかには媚薬の良い材料になるのもあるのよねえ。たしか東のほうで珍味って名高い茸がそれだと思ったわ。このあたりでも採れるって聞いたことあるし……どこにあるのかおぼえてる、デュール? わたし、連れてってもらおうかな」
 デューラムは眉を寄せた。「おいちょっと待て、エーリーンはその茸は毒カエルが毒をなすりつけてく茸だって言ってたぞ。まあカエルのせいかどうかは知らんが、毒茸ってあたりには信憑性があるじゃないか。毒を媚薬に使うのか?」
 「種類によるけど、たとえ毒だとしてもほんのちょっとの量なら媚薬として使えるものも中にはあるのよ。……あら!」
 そこでクリッサは不安げに視線を交わす男三人の様子を見回して、にこにこと笑った。
 「みんなに使ったりしないから安心して! けっこう高く売れるのよ」
 「しっかし媚薬ってなあ、たしかアレだのソレだのにカタチが似てるとかいう、ヘンテコな理由でその気にさせるうさんくさい薬だと思ってたんだがなあ!」
 ダグラスは横目でクリッサを見たが、デューラムの見たところ、この話題に興味津々なのが視線の底に透けていた。「たしか、なんかの動物の角だのを使うんだろ?」
 「それ、犀角(さいかく)のこと? まあ、たしかにあれに関して言えば男の人の勃起したアレに似てるからっていうのも大きいけど……。でも、媚薬みんながイカサマってわけじゃあないのよ。たとえば媚薬には普通、効能から行くと三つの種類があって……強壮剤、惚れ薬、催淫剤の三つだわね。このうちイカサマイカサマって言われるのは惚れ薬と催淫剤なんだけど、恋や欲情状態なんてそれ自体漠然とした現象だから、どういう状態で薬が効いてるって言えるのかだって曖昧でしょ? たとえば、ハシリドコロとか、あとマンダラゲ、別名ダチュラね、あのへんを食べると頭がぼうっとしたり、心臓がどくどくしたり、おしっこしたかった気分がどっか行っちゃったりするけど、それだって恋したときとか発情したときの状態に近いでしょ? ね、そうでしょ、みんなもそんなふうになるでしょ?」
 クリッサが突然デリケートかつ答えにくい領域の質問を向けてきたので、デューラムは口ごもり、目を白黒させた。ダグラスに助けを求めて視線をやると、彼もまたどぎまぎと視線をさまよわせた。
 「お、おお。どうだったかな。まあそうだったかもしれんな。だがおれはむしろやけに便所に行きたくなるほうかもしれんな」と、どもりながら言わなくてもよさそうなことを言う。
 「あら、そうなの! ダグラスは利尿型なのね、でもそれって目の前に横たわってる女の人のことで頭がいっぱいで、気が焦っててトイレに行くのも時間が惜しいから、よけいトイレが気になるって意識の問題かもよ」
 あっけらかんと性傾向を分析され、なんとも言えない表情で呻くダグラスだったが、それを気にする様子もなくクリッサは続ける。
 「でも、どっちにしたってぼうっとしたり鼓動が早くなったりはするわけでしょ。だとしたらさっき言ったマンダラゲだのハシリドコロだのだって、人間を似たような状態にしちゃうんだから、媚薬として“効いてる”って言えるわけじゃない? それと知らずにそのへんの薬を飲んだ人なら、突然胸がどきどきしはじめたりしたら、目の前の人間に恋してるんだとか欲情してるんだとか、普通に思っちゃうわよ」
 「しかし、惚れ薬と催淫剤を一緒にしていいものなのか? それは恋と欲情と身体現象についての長年の哲学的難問(アポリア)に肉薄する話だぜ」
 と、ツァランが面倒くさそうに、「……恋愛が性欲と同一ではないという意見はいつの時代も絶えることがないのだぜ。たとえばかの高名な浪漫主義の啓蒙哲学者ジャン・ジャック・Rの回想を知らないか。幼いジャン・ジャック君は近所の牧師のお嬢さんに尻を叩かれるとなんとも言えずよい気持ちになるのを発見し、わざといたずらをしでかしてお嬢さんに自分の尻を叩いてもらっていたそうだ。十にもならぬガキのころからそんなことばかり妄想している哲学者に啓蒙されるのなんぞまっぴらだと思わないでもないが、それはそれ、重要なのはこの回想について、東の果ての文豪O.モリが、性欲の最初の発動ではあっても断じて初恋ではないと言い切っていることだ。まあぼくは俗物なので、一割、一分の性欲のすきもない恋情など知らないが、完璧に崇高な精親愛なるものも世には存在するという話だろう」
 「あら、でも、神に身を献げて一生の純潔を保った巫女だか修道女だかが見る神のお告げの夢ってのは、ほとんど性夢とかわりないって話よ!」
 クリッサが大声でそう叫んだので、デューラムとダグラスはそろって首をすくめ、周囲を見回した。彼ら男衆が猥談に興じるのもべつだん珍しくはなかったが、それはどことなく秘密めいたひそひそ話として行うからこそニヤリとする楽しみが生まれるのであって、クリッサのこうした歯に衣着せぬ物言いをまのあたりにしていると、尻から背中にかけての皮膚がどこか落ち着かない感覚になってくる。無防備であることは時としてひどく攻撃的なのだ。
 しかしツァランはまだへこたれず、にやにやとあまり上品でない笑みを浮かべた。「その一方で、神との愛のために恋人の求婚を死ぬまでしりぞけ、狭き門より天上の国に入(い)るに至った、たっとい自己犠牲精神の女性の物語もある。ぼくは青臭くも、いまだに女性のピュアな理想像を持っているんだ。……あまりそれを崩してくれるな、クリッサ」
 「まあ、どっちにしたって」クリッサは肩をすくめると、皮肉ともなんともつかないツァランの台詞をあっさり流してしまった。
 「そもそも媚薬って呼ばれるものの歴史をたどれば、強壮剤づくりってのが本来の目的であって、しかも強壮剤って言ってもソッチに特化したものじゃなくって、こうもっと一般的な……、体全体に元気が満ちたような、すがすがしい状態にするためのもんなのよ。まあ、わたしは強壮剤を作るのはあんまり得意じゃないんだけど……。とりあえず媚薬作りっていうのは言われてるほど怪しいもんじゃなくって、立派な日常医療のひとつなのよ」
 ハァ、とデューラムは目をぱちくりさせた。
 「だから、言っとくけど」クリッサは続けた。「みんなにはお生憎だけど、これ一本あればどんな夜も怖くないだとか、じゃなけりゃ気の強い女の人に一服持って、いかがわしい気持ちにさせて、変なおねだりをさせて、倒錯的な勝利の美酒に酔うみたいな便利な使い方はそんなにできるもんじゃないし、本来のきちんとした目的からも大きくはずれたものなのよ」
 「いやな物語ジャンルを知ってるな、きみは」ここにきてツァランがたじろぐ。
 デューラムも心底呆れかえった。「おまえ、いったいそういうの……、そのおねだりだのなんだの……、どこで知るんだ? 魔術の勉強とか言って、いったい何を読んでるんだ?」
 ツァランがあわただしく咳払いをした。「…………しかしまあ、いわゆる『性生活』の定義は昔はずいぶん広く、べつだん劣情に直結したものでもなんでもなく、生活の自律だの健康法だのの領域だったというのはたしかに聞いたことがある」
 しかつめらしくそう続ける。「だが、結局きみ自身はそうしたまっとうな強壮剤を作れないんだろう? 媚薬を淫靡な領域に押し込めてるのはなにも男の身勝手な妄想だけではなく、そういう魔女自身の責任だろうが」
 「しかしなあ」ダグラスは興味津々の様子である。「媚薬だの惚れ薬だのってなあ、嘘八百かと思ってたら、あるこたあるんだな。いや、今の話じゃそんなに効かないってことだが。それ、高いのか」
 「やめとけやめとけ」ツァランがひらひらと手を振る。「うかつに魔女の薬に手を出すな。期待して飲んだり塗ったりしたあげく、大事なものが真っ赤に腫れあがって、一生使い物にならなくなったりするかもしれないぜ!」
 「あら、言っておくけど、わたしがもし呪いをかけるんだったら、真っ赤に腫れあがらしたりしないわ!」と、クリッサのほうも負けていない。「そんなことしたら大きくなったって言ってかえって喜ぶ人がいそうじゃないの。わたしだったら、青緑色の吹き出物があれに一面びっしりに生えて昼夜問わずおどろしい痒みをもたらし、その表面全体からどろりと粘液がしたたって服をしとどに濡らし、そうしてそのしなびちゃったものから時たま、ぷしゅうって空中に胞子が噴き出しちゃったりするような、そんな呪いをかけるわ!」
 デューラムとダグラスはそろって低く呻いた。
 「じゃなかったら無数の小さな羽虫の卵をびっしりとアレに」
 「もういい。やめろ。ぼくが悪かった」と、ついにツァランが降参した。
 「女はいいよなあ」デューラムは呆然と呟いた。「そういう忌まわしい妄想を散らかすだけ散らかして、それがどんなリアリティをもって響きうるかなんて永遠に知りっこないんだ」
 「まったくだぜ」ダグラスがげっそりと同意した。


 「ともあれ」
 ツァランが思い出したように何度もしつこく咳払いをする。「話をエーリーンに戻せば、だ。彼女の話はたしかに法螺だらけだが、そこにまったく真実がないというわけでもないかもしれないぜ」
 「……どっちなんだ」
 まわりくどいツァランの台詞に、デューラムはうんざりした。この男の言うことも、しばしばエーリーンの発言に負けず劣らず意味不明である。喋る本人は理屈や話の流れを了解しているらしいのだが、他の人間にとってみれば、何を言っているのか、その理屈を経たことで何がどう変化したのか、まったく理解できない。
 「いや、彼女の法螺話や妄想は、修辞だの隠喩だの換喩だのの領域に根ざしているようだからな。比喩や寓意のような詩的想像力は、事物や事象のふだん隠されている側面を驚くほど鮮やかに切り出してみせることがある。いや、前にも言ったとおりぼくは詩学文学はからきし駄目なほうなので、彼女の妄想がどこまでそういう真実に切り込んでいるのか、知りようもないのだがな」
 「はあ? シュウジ? カンユ?」
 案の定、さっぱりわからなかった。
 「噛み砕いて言えばだな、……その妖精だとか毒茸の話も、民間信仰から来てるんだろうとは思うが、その裏で彼女がぼくらには想像もつかないどんな洒落だの罠だのを仕掛けてるのか、知れたものじゃないということだ」
 「うーん」眉間に寄った皺を指でぐりぐりと押しながら、デューラムは唸った。饒舌な男の用いる難解な用語や言い回しを横にのけて、自分なりの言葉で解釈する。
 「それ、平たく言えば、冗談のセンスや思考回路があいつと違う人間にとってみれば、あいつの話はさっぱり理解できないってことか」
 ツァランは少し沈黙すると顎を撫でた。「…………うん。……まあ、そうも言えるか」
 「全然結論になってないじゃないか!」
 デューラムは呆れた。「結局、あいつの言うことを信じていいのか悪いのか、どっちなんだ?」
 そこでダグラスが楽天的な笑い声をあげる。「まああんまり難しいこと考えるなよ、ツァラン。あいつの与太話が本当だろうが嘘だろうが、たいして変わりゃしないだろ」
 デューラムは溜息をついた。「それが変わるんだ。今後おれが安眠をえられるかどうかに関わってる。……じつは数日前、ちょうど茸狩りに行った日から、変なことが立て続けに起こってるんだ」
 「なんだ、またそっちの悩みか。いったいまた、今度はなんの幽霊に祟られてるんだ?」
 デューラムは鬱々と目を細めた。「さあ、幽霊なのかなあれは。一晩中、屋根裏と床下からどたんばたんと足音だのものを叩くような音だのがひっきりなしに続いて、甲高い叫び声だの、とても人間のものとは、いやこの世のものとは思えないような、ひどい笑い声だのが……」
 「騒霊(ポルターガイスト)かしら」と、これはクリッサであった。「ものが飛んだりする?」
 「いや、それは今のところないなあ。とりあえず騒音がものすごいんだ。何かでかい鼠でも入り込んだのかと思って屋根裏を調べてみたんだが、とくに何も見つからない。だから……もしエーリーンの言ったことが本当なら、なんだか目に見えない変なものを茸狩りのときに連れて帰ってきてしまったのかも、と、……」
 デューラムはそこで言葉を切って、がりがりと頭を掻いた。寝不足の目がひりひりする。「まあ馬鹿げてるよな。そんなわけないよな。迷信だよな」
 デューラムは大きなため息をついて、黙り込んだ。ツァランとダグラスの二人が顔を見合わせると、そろってクリッサに視線を送る。
 クリッサは集中した視線を受けると、ううんと唸って腕を組んだ。「そうねえ、なんだかよくわからないけど、まずはエーリーンに頼んでみたら? 彼女の方がよく事情をわかってそうだし、もしあのひとにほんとに鬼が見えるっていうんなら、そいつの退治を手伝ってくれるかもしれないわ。まあ、楽しがるばっかりでちっとも退治するそぶりを見せないって可能性も、十分にあるけどね。そしたら、そのとき考えましょ」





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