LUE FLOWER UNDER THE BLUE SKY.

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 翌朝は快晴だった。
 昨夜月を覆い隠していた雲もすっかりどこかに流れ去っている。空がすがすがしい青色を見せるその下で、四人はそろって花が摘まれた場所へと出かけた。
 ちょうど街から帰るところだった村人に頼んで乗せてもらった荷馬車をデューラムの家の前で降りる。その後少し歩いた後に、一行は森の中に足を踏み入れた。木々の間を抜けて落ちる日の光のなかにみずみずしく葉の色が透け、あたりにはみどりの匂いが立ちこめていた。
 けれども、いくらおだやかな日とはいえ、森を行くのは楽ではない。カリャンスクに接するその森は、人を寄せ付けないようなたぐいの深い山ではなかったが、猟師や木こりの足がつくりあげた細道を一歩出れば、そこは丈の長い草が生い茂る道なき道なのだった。
 数刻の時間を四人は黙々と歩いた。何百年も昔に森で暮らしていた人々が作ったとおぼしき粗末な石の階段を上った。木々の間を流れる細い清流を渡ると、小さな石蟹が驚いたように彼らの足の間を逃げていった。何時代も前にうち捨てられ、祀る者もなく佇んでいる苔むした神像が背の高い下草の間から顔を出している隣を歩くと、その上ではしばみ色の小鳥が首をかしげて四人を見た。
「ここのはずだ」
 そうデューラムが言ったのは、もう正午にもなろうかという時刻だった。眼前には少しだけ開けた場所があって、木々の梢が途切れたその間から、高く昇った太陽がさんさんと明るい光を届けていた。手前の六・七フィート(注:二メートル前後)ほどの段差の下に、ちょっとした部屋程度の広さの草むらが広がっていた。
 四人は足下に注意しながら崖を降り、花を探した。イザクがおいと呟き、自分たちが降りた崖のふもとを指さす。そこには段差に隠れるようにひっそりと一輪、青い花が咲いていた。デューラムはじっとその花を見つめた。
「これか?」と、ダグラス。
「ああ」
 デューラムは短く答えた。
 花に影を落としている茂みを、イザクが少し押しのける。膝に満たない程度の丈のその花は、ほっそりした葉を空へと向け、太陽の光と彼らの視線をまぶしがるようにかすかに揺れた。
「おや」
 しゃがみこんで花を見ていたダグラスが声を上げる。「何かあるぞ、半分埋もれてるな。……槍だ」
 彼の言うとおり、それは一振りの槍だった。木の部分はすっかり腐り落ちており、一フィート(注:約三十センチ)足らずの錆びついた先端だけが下草の中に埋もれていた。その槍先の首の部分には、見事な長い金糸の一束が結びつけられており、絡まる草をダグラスが指で取り除くときらりと日に光った。
 髪だ。ひと束の、金髪。
 だが、たしかに美しくしなやかに光っていたその一束の髪は、ダグラスが注意深く槍先を持ち上げると同時に、砕けるように落ちて散った。ダグラスは息をつくともう一度腰をかがめ、また何かを地面から持ち上げた。やはり青く錆の浮いた銅板だった。彼はちらりとそれに目を落とすと、ツァランに手渡した。
「読めるか、おまえ」
「ラタ……」
 銅板を受け取り、記された文字を読もうとしたツァランは顔をしかめた。
「これは帝国語だぜ、だがひどく錆びていて読みにくいな……。ラタラクの森……かな、ラタラクの森の戦いにおいて、主(あるじ)がためにその命と……勇気……その命と勇気を献げたテンプルツリー領……モズニエ村の人々の記憶に。テンプルツリー候アリスター…………云々」
 ツァランは眉を寄せたまま、「時の領主がこの村の農奴の慰霊のために作ったものかな」
「領主ってのはそんなことまでするのか」
 デューラムは銅板を覗き込んだ。その慰霊文は異国語で書かれているものではないにせよ、錆で汚れて一つ一つの文字さえ彼には読み取れなかった。
「それだけ死んだんだろう。一つの村から」と、ツァランが平坦に答える。
「なるほど」
 女が石碑から引きはがしていた物は、これだったのだとデューラムは納得する。彼は女の剥がれた爪を思い返し、その背後にある凄惨な憎しみを思った。
「さっきの髪はあの女のだろう」
 ダグラスが槍先を眺めながら言った。「自分の髪を恋人にお守りとして渡したのかな」
「だろうな」デューラムは呟いた。「だけど、その思いは叶わなかった」
 四人は黙って槍先を眺め、銅板を眺め、花を見つめた。花はまばたきをするように、ただそよ風に花びらを揺らしていた。
 ダグラスが花に添えるように槍と銅板を地面に返す。
「恋人と一緒にいることだけを求め続けた500年だったのか」
 デューラムは誰にともなく言った。「重いな」
「仕方がない」
 ツァランが肩をすくめる。「その戦がいつのものだったにせよ、もう何時代も昔のことだ。……マーヤが手折らなかったとしても、遅かれ早かれ花は失われていただろうさ。形あるものいつかは亡び去る。そしてものの形が失われたときに、ものに宿っていた情念も朽ちてゆく。……そういうものだよ」
 デューラムは青空を見上げた。
 ツァランの言う通りなのなのかもしれない。
 だが、
 ——無念だっただろうに。
 その思いが広がっていくのは止められなかった。
 すまなかった、とデューラムは口の中で呟いた。

「種ができてるな」
 と、言ったのはイザクである。彼は崖下にしゃがみこんで、もう茎だけになったくだんの花のなれのはてを、手のひらに乗せて覗きこんでいた。花弁が散り落ちたその下の丸みを帯びた部分から、黒っぽい、朝顔の種ほどの大きさの数粒が顔をのぞかせていた。
 イザクは腰からナイフを引き抜き、その柄で土を少し掘った。黒く湿った地中に花を埋めると、手でさらりと上から土をかける。それから彼は立ち上がってデューラムを見た。「行くか」
 帰り際、四人は無口だった。それは重々しい沈んだ空気と言うよりは、何かを口にし、話題にすることをみながためらっているような空気だった。
 何かをなし終えた気はしていた——恐怖も腑に落ちない気持ちも、もうなかった。だが実のところ、彼らは何を解決したわけでもなければ何を乗り越えたわけでもないのだ。彼らはただ歴史の地層に埋もれていた貧しい女の恨みと悲哀を垣間見て、そうしてそれが地上の空気の中に朽ちはてていくのを見たに過ぎないのだった。
「あの種は根づくかな」ダグラスがイザクに尋ねる。「……そもそも死骸がないと育たない花なんじゃなかったのか」
「難しいだろうな。摘み取られた花の種だしな。土壌の肥えた場所なら、死骸がなくとも育たんでもないかもしれんが。1、2週間経てば分かるだろうけどな」
 イザクの声に、デューラムはかぶりを振る。
「いや、いい。確認はしなくていい」
 もう、いいのだ。
 あの青い花、女の想いが形になったあの青い美しい花は、小さな黒い種になって眠る恋人を、静かに見つめながら揺れ続けるのだろう。ずっとこれから先も、何年も。
 あるいは、きっと戻ってくると言ったあの男の上に優しく重なり落ちて、ともに腐り果て、そして土へと還っていくのだろう。
 どちらにしても。
 ——どちらだとしても。
 木々の梢の先で、無数の葉が風にそよぎ、ざわざわと音を立てている。
 デューラムは目を細めた。耳の下を吹き抜ける春の風は、どこか生々しく、暖かな息吹に満ちていた。
 そのなかに、一瞬きらりと金髪がきらめいた気がした。






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