USHROOM HUNT.

1


 樺の幼木が両側から枝を伸ばし、ただでさえ辿りにくい獣道を遮っている。前を行く女はいかにも自然なしぐさで、ひょいと身をかがめてそこをくぐり抜けた。何かをよけたという、その意図すら感じさせない動きであったがために、デューラムはあやうくそこに障害物があるのにも気づかず、したたかに口のあたりを打つところだった。寸前で気づき、舌打ちをして腰をかがめる。
 「どうしたの?」
 声がしたのでデューラムは顔を上げる。いつの間によじ登ったのか、道を遮る四フィート(注:一メートル二十センチ強)ほどの段差の上に、片腕に籐の籠を通した女がすっくと立って彼を見ていた。結い上げることもせず流したままになっている赤毛が肩の回りにくるくると渦まいているのを見て、よくもこんな森の中で枝にその髪をひっかけないものだと、デューラムは思う。
 「なんでもない」彼は答え、背に負った籠の位置を少しととのえると、段差を登る足がかりを目で探した。
 女が笑って手を伸ばす。デューラムはその手を取るのを躊躇した——難なく上れる高さである。むしろ儀礼的にであれ、彼の方が先に立って女に手を差し伸べるのが普通ではないかと思われた。だが、彼女は二人の時にはいつも先を歩くのを好む。……こうして林や森の中では彼を子どものように扱うと思いきや、街にいるときには、やれ高いところのものを取れだの、やれ重いものをかわりに運べだの、いろいろと注文しては彼の気が利かないと言ってよく怒る。つくづく扱いにくい女なのである。
 彼女は名をエーリーンと言って——たしか本来はもっと長たらしい名前なのだが、呼びにくいのでみんなにエーリーンという愛称で呼ばれている——、デューラムの酒飲み仲間兼旅仲間の一人だ。知り合って2、3年にはなるが、どうも彼はこの娘の行動と気分の理屈をいまだに掴みかねていた。
 彼がそのように愚痴るたび、仲間の一人のダグラスはきまって、女はわからんのさ、とだけ言う。だが彼女のようでない女もいるじゃないか、とデューラムは反論する。じっさいアルマという名の仲間は、デューラムにとっても至極合理的と思える言動をとる。アルマがまっとうすぎるんだ、と、やはり仲間の一人であるツァランは言う。さらにもう一人の男であるイザクは一連のやりとりに鼻を鳴らすだけで何も言いはしない。彼の目にもエーリーンが珍奇な動物として映っているのであろうことは、傍目にもよく見て取れた。


 ……目の前には細長い形状をしたエーリーンの手のひらが差し伸べられている。わざわざ拒否するのも感じが悪いのでデューラムが仕方なくその手をとると、意外なほど強い力で彼は段差の上に引っ張り上げられた。肘まで伸びた亜麻の上衣(ブラウス)の袖も、そこからのぞく腕も、皮一枚の下には骨しかないのではないかと思うほど細いのに、彼女はむやみに力が強い。
 「あんたってけっこう重いんだわ!」エーリーンはそう笑うとくるりと彼に背を向け、林の奥にさらに足を進めていく。少しずつ落ち始めた木の葉が、その髪に一枚二枚、ひっかかっている。
 季節は秋だった。林の中には落ち葉がふくんだ露が放出する独特の湿気と匂いが満ちており、木々は目にも鮮やかな黄色や赤の彩りをあふれんばかりにその枝に抱えていた。林が緑から極彩色に転じ、茶色く朽ちてその葉をみなども地に散り落とすまでの、わずかなひとときである。デューラムとエーリーンが今日、わざわざこうしてヘプタルクの王都に隣接する森の中にやってきたのも、秋ならではの自然のめぐみをえんがためであった。——すなわち茸狩りである。もっともデューラム自身は、季節の行楽だの風物詩だのというよりは、単調な食生活にスパイスをもたらすべしという、はなはだ即物的な目的のために出かけてきたにすぎないのだが。
 表土をおおう肥沃な枯れ草と枯れ葉の絨毯を踏みしめながら、デューラムは先を行くエーリーンのあとを追う。ただでさえ細い胴を必要もないのにさらに細く細く締め付けている毛織りの胴衣が髪の間からのぞくのを眺めながら、彼はいぶかしげに口を開いた。「おまえなあ——」
 「なあに?」彼女が振り向かずに尋ね返す。デューラムは歩きながら先を続けようとして、少し躊躇した。痩せた体のどこにそんな力があるんだ、と、彼はそう言おうとしたのである。だがそのとき彼は、以前似たようなことを言って彼女をひどく怒らせたのを思い出したのだった。その怒りの理由は彼にはよくわからなかったが——あとになって思い返してみれば、どうやら「痩せた」という単語が気にくわなかったらしかった。
 「女ってのは理由もなしにすぐ機嫌を悪くするんだ、いちいち気にするな」と、そのとき居合わせたダグラスは言ったものである。じっさいのところこの大男は、その男臭く粗野とも思える言動に反して、男衆のなかではおそらくいちばんエーリーンに気に入られている、もとい、なつかれている。だが彼の彼女に対する評価は、いつもやけにさばさばしているのだった。
 「まあそりゃ、あいつに限った話でもないがな」ダグラスは続けた。「こないだ酒場の若い給仕娘に、久しぶりに見たらたっぷり肉がついたと言ったら、平手を張られたあげくに料理を減らされたよ。こう、皿に乗って出てきたのが、ちんまりと、これだけでなあ、ひもじかったもんだ。だが、おれは年頃になってグラマーになったって褒めたんだぜ!」 
 「おまえはデリカシィが無いからいかんのさ」やはり居合わせた大男の相棒が、いつものように酒を啜りながらそれに返す。「ひとつ、ふたつ言葉を選べば別人のように気をよくするってところを、馬鹿なことを言うからだ」
 「ふん!」ツァランという名の饒舌なこの男が男女の機微にかんしても知ったふうな口ぶりをするのにかちんときて、デューラムは鼻を鳴らしたものである。「ずいぶん自信たっぷりに言うじゃないか。じゃあおまえはさぞかし女の機嫌をとるのがうまいんだろうな」
 するとツァランはにやりとした。「あいにくぼくは、きみらと違って少し複雑な嗜好の持ち主でな。おべっかで有頂天になってる女よりは、程よく怒らせたときの女の顔が好みなわけだ」
 「呆れたぜ、この変態」とデューラムが言ってやると、ツァランはますます機嫌をよくした。
 「純愛を含む性的嗜好のすべてがどこかしら倒錯的であるという結論に達したぼくにとって、あいにくその罵声はなんら打撃にはならない。だがじっさいのところ、怒らせる程度というのが難しくてな。よく失敗して怒らせすぎ、やはり平手を張られたり、悪くすると雨の中追い出されたりする結果になる。……ともあれ話を戻せば、言葉の選び方で女に対する評価はずいぶん違って聞こえるものだぜ。ぼくらにしてみれば、痩せてるも華奢もどだい違いがあるようには聞こえないが、やつらにとってみればそうでもないらしい。『ほっそりした』とか『儚げな体つきで』とか言うととりあえず機嫌をとっておけるんだ。これは生活の知恵だぜ」
 

 なにが生活の知恵だ——とそのときデューラムは思ったものだったが、いま一人のいかにも扱いにくい女を前にしてみれば、機嫌をとっておくに超したことはなかったし、ツァランの案も試してみるに値するのかもしれなかった。
 「しかしおまえ、ほっそりして華奢で、いかにも儚げな体をしてるのに……」
 よく力があるもんだ、と続けようとしたところで、エーリーンは驚いたように目を見張り、まじまじとデューラムの顔を覗き込んだ。
 「一体どうしたのあんた、人気(ひとけ)のない森のなかで二人っきりになったもんで、突然その気になっちゃったの? 詩のひとつも知らない朴念仁かと思ってたら、やけに色気のある口説き文句を言いだすじゃない!」
 「まさか、口説くもんか!」
 やぶへびである。デューラムは迫る女を避けるように無意識に後じさった。足元の草がまるで彼の焦りを代弁しているかのようにガサガサと騒々しく音を立てる。「たんに痩せて筋肉もろくについてなさそうなのに力ばかり強いのはなんでかと思っただけだ」
 「まあ!」
 彼の早口の弁明に、アーモンド型の目がきっとつり上がった。
 「失礼しちゃう、痩せっぽちで骨と皮ばかりで悪かったわね」とエーリーンはぷりぷりして言うと、ひらりと身を翻して歩き出した。「しかも力ばっかり強くて悪かったわね!」
 気まぐれな女の機嫌をそこねないようせっかく努力したのに、結局気の使い損である。ツァランのアドバイスに素直に従うと多くはろくなことにならない。デューラムは溜息をつくと、肩をいからせて足早に歩く女を後ろから追いかけた。
 少し道が広くなったところでデューラムが横に並ぶと、エーリーンはちらりと横目で彼を見た。
 「まあいいわ、薄暗い森の中とはいえまだ日も高いし。こんなところで変なことしてたら、おてんと様が嫉妬して面倒なことになるに決まってるわ」
 「変なことって何だ」デューラムは呻いた。
 「だからそういう意味で言ったんじゃないんだ。おれはただ——」
 エーリーンはもう一度ちらりと彼を見ると、その渋面のなかに当惑を見いだしたのか、口元に微笑を浮かべた。
 「あら、でも森の中って人気がないと思っても、じつはどこでどんな目が見てるかわかりゃしないってのは本当よ。木の精だの泉の精だのが嫉妬して面倒なことになるから、森の暗がりで逢い引きをしちゃいけないって言い伝えがあるくらいなんだから」
 「ふうん」話題が逸れていきそうなのでデューラムはほっとした。「だがまあ、木の精だの泉の精だのはそりゃ綺麗なんだろう? この林にもいるんだったら、ひとつお目にかかってみたいもんだけどな」
 「あら、綺麗だからって気を許しちゃいけないわ。林や丘に住んでる精って、時たまひどく血なまぐさいことしてくるのよ。こんなお話、知らない? ——ある冬の夜、何人かの女達が肝試しをするの。町のはずれにある妖精の出るって噂のお宮に行って、お供え物をいれる箱を持って帰ってくることができたら、その日とれた亜麻をぜんぶその人にあげようって。……そうしたら一人の勝ち気な若い母親が、じゃああたしが行こうじゃないって言い出すんだわ」
 知らないなあとデューラムは返した。エーリーンはどこで聞いてきたものか、こうしたこまごました妖怪譚を色々と知っていて、折に触れては語り出す。はずれもあるが中にはなかなか面白いものもある。
 「……で、どうなるんだ?」
 デューラムが興味を示したので、エーリーンはにんまりと嬉しそうに笑った。
 「……乳飲み子を背負ってその母親がお宮に行くと、だあれもいないはずなのに、突然低い声がするの、『おい』って。それから母親の名前を呼ぶ声——。母親が振り向いても、やっぱり誰もいない。母親は怖くなって、無我夢中でお供え物の箱をひっつかんで、走ってそこを逃げ出すんだわ。そうすると後ろからまた声が、『おい』って……」
 「その『おい』って呼び声がなあ……」どことなく不気味である。
 エーリーンはまたにんまりと笑んで、続けた。
 「そうして母親は女たちのところまで帰ってくるの。ほっとして、お宮であったことをみんなに話しながらおぶっていた赤ちゃんを下ろそうとして、そうして初めて、べっとりと背中にこびりついた血に気づくのよ……赤ちゃんの首がなかったの。お宮の妖精が音もなく、その首をちょいとひねって捻りとってしまっていたんだわ! これは遠い国のお話だけど、こんなのあんたもひとつくらいは聞いたことなくって?」
 「知らないなあ。だけども妖精ってのはそんなに悪質なもんなのか?」
 ずいぶんと猟奇的な妖精である。デューラムは幼い頃に聞いたおとぎ話を思い出そうとした。しかし、巨大な火を吹く竜との戦いだの、大きな山がまっぷたつに割れて伝説の剣が出てくる話だの、そういう雄大な話のほうに興味をおぼえていたデューラムは、妖精へのイメージそのものをひどく漠然としかもっていない。木や泉の精だの妖精だのといったものの違いもよくはわからなかった。
 「そいつは子どもを亡くした妖精かなにかだったのか?」
 「さあ? 妖精が何を感じて何を考えてるのかなんてわかりゃしないわ」と、エーリーンは肩をすくめる。「でも、こういう場所では気をつけたほうがいいことよ。やつら、どこからどうあたしたちのこと見てるかわからないんだから」
 はあん、とデューラムは曖昧に答えた。「どこに何がいるようにも見えないけ——」
 「そら! あんた今、耳を掻いたわね!」
 エーリーンは突然立ち止まるなり、甲高くそう叫んだ。
 「はあ?」
 聞き返してから、デューラムは自分の耳から手を下ろした。「いや、……」少し遅れて、彼女が言ったとおり自分が耳に手を触れていたのを認識する。彼は当惑した。「たぶん、ちょっと痒かったんだ」
 エーリーンは大きな目に愉快そうな色をたたえて彼を見ていた。「耳が赤くなってるわ」と、尖った人差し指で彼の耳をさし、いかにも大事であるかのように朗々と宣言する。「なんにもないのに突然耳が痒くなって、赤くなるときは——知ってて? それね、森の鬼があんたの耳に悪いことを吹き込んでる、その証拠なのよ」
 「そんな馬鹿な。耳なんていつでも理由なく痒くなるだろ!」
 「いいからちょっと貸してごらんなさいな」
 デューラムがうんともすんとも言う暇がないうちに、彼女は手を伸ばしてぐいとデューラムのうなじあたりを掴むと、背伸びをしながら彼の右耳を覗き込んだ。「ほら、鬼はもう逃げちゃったけど、なかにほんの少しだけ黒いものが入り込んでてよ。ちょっとしゃがんでちょうだい、まだ取り出せそうだわ——そうよ、じっとして」
 デューラムは仕方なしに、エーリーンの言うがままに身をかがめた。その話を信じているわけではない。ただ、彼女はこうした芝居とも空想ともからかいともつかない奇妙な言動をよくとるので、いちいち真面目に反論していられないのである。
 それにしても、悪意ある迷信をふきこんだのは妖怪だの妖精だのではなくエーリーン自身ではないのかと、そうデューラムは思うのだ。しかし、それも口に出すと面倒そうなので、黙っていた。
 エーリーンは熱心に彼の耳を覗いている。どこかで啄木鳥(きつつき)が虫でも探しているのか、甲高いリズミカルな連音が響いていた。森の中はいつもどおりやわらかい光に満ちていて、鬼や妖物のおどろおどろしい気配などみじんも感じられはしない……
 ふと耳元に息がかかって、デューラムはぎくりとした。自分の腕の毛がにわかに軽く逆立つのがわかった。秋とはいえまだ十分に暖かい陽気の中を歩いて少し汗ばんだ首筋の肌に、エーリーンの細い指がじかに触れている。妙に冷たいその指の感触を、彼は突然のように意識した。体内の血が不穏にざわめき立つ——
 「取れたわよ」
 首は突然自由になった。
 面食らったデューラムが顔をあげると、一歩距離をおいた位置でエーリーンがにやにや笑っていた。彼は当惑し、首筋をさすってからじろりと彼女の顔を睨みつけた。「……おい、おれをからかおうとしてるだろう」
 エーリーンはうふっと声を出した。その目の悪戯っぽい光は、そのとおりと言っていた。だが、
 「そんなことないわ、ほんとに鬼がいたのよ」
 彼女はそう言うのである。


 デューラムは呆れて鼻を鳴らすと、歩き出した。肌に残る細い指の感触がいまいましかったが、それも初秋の陽気の中にすぐに霧散していく。
 「おれにはなにも見えりゃしなかったが、それじゃきみはずいぶん目がいいんだな」
 デューラムは皮肉っぽくそう言った。
 小走りで彼の後を追ってきたエーリーンは、そこでまたくすくす笑った。「あたしは……の血をひいてるのよ。だから同族だの地下からやってきた鬼だのが見えるの」
 なんの血をひいていると言ったのかデューラムにはよく聞き取れなかった。「なんだって?」
 エーリーンは小首を傾げた。「知らないかしら。……よ。フェーの一種」
 「フェー?」
 最初の方はまたしても聞き取れなかったが、後ろの方も聞き慣れない訛り(アクセント)の単語だった。「フェイと言ったのか? なんだっけそれ……妖精(フェアリー)のことだったか?」
 「そうね」
 エーリーンはまた小首を傾げたが、頷いた。「まあそれでいいわ。……あたしの故郷ではね、気位の高くて気性の激しい妖精たちが、丘の下に大きな王国をつくってたんですって。そうしてそこを強力な女王が治めてたの。妖精たちはそりゃあ豊潤な宝をもっていて、何人もの人間が何代も何代もにわたってその宝を探して人生を狂わせてきちゃったの。地面を掘って掘って、ああ黄金を掘り当てたと思いきや、毛深い犬のようなものに食い殺されてしまったり、えたいの知れない恐ろしいものを見たために気を狂わせてしまったりしたのだわ。……そうした妖精たちは普段は目に見えないのだけれど、時たま、ふと詩人が薄明かりの空のもとに、自分の足に絡まる彼らの長い長い指を見て、悠久のときのかなたにかん高く震える彼らのしらべを聞くのだわ。そうしてあたしも、やっぱりそこに生まれ育ったから、土中から伸びる彼らの手と、その歌のなかに生きてるの。……だって、あたしもその妖精の血をひくひとりなのだわ。だから……」
 隣を歩くデューラムではなく、まるで木と土と風とに語り聞かせるような声音でそう言ったエーリーンは、そこでいったん言葉を切ると、幼げな笑顔を浮かべてデューラムの顔を覗き込んだ。いたずらっぽく口調を変えて、
 「……だから、たまに地下の世界からやってきて色々と悪さをする鬼をこらしめたりなんかするのも、あたしには造作ないことなのよ」
 デューラムは眉を寄せた。彼女の話に着いて行けているとは言いがたかったが——とりあえず、目の前で自分とごく普通に会話をしている娘が妖精そのものであるとは、また突拍子もない話である。いつもなら、はあ、とかふうん、とか言ってやりすごすのだが、先ほどのからかいに少し腹を立てていたデューラムは溜息をつくと言ってやった。
 「それ、今こしらえた作り話だろ」
 エーリーンはべつだん怒りもせず、もう一度笑った。二つの緑の目は、やはりその通りと言っていた。
 それでも、彼女はこう言うのである。
 「そんなことないわ、ほんとよ」





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