妙なる一皿











UPERB ROAST.





「こいつはすごい」
最初に口を開いたのはダグラスだった。茶色の無精髭を手で撫でながら、目の前の《それ》をまじまじと眺める。「完璧じゃねえか」
「確かにすごい。お前のような、ふくよかなのがとにかく好きな俗っぽい男には、もう完璧なプロポーションだな」
と、いつものように皮肉っぽく言ったツァランの声にも、感嘆がにじみ出ている。
「腰のくびれも美しく、脚のラインも艶かしい。ぼくは正直いうともう少し細い方が好みなんだが、これもまあ、目の前にしてみると悪くはない」
「だろ、驚くだろう?」
デューラムは自分がたった今ご開帳した《それ》に対する友人2人の反応にすこぶる満足し、椅子の背にどっかりと体重を預けた。
「……だが、にわかには信じがたいな」とツァランは怪訝そうに、「デューラム、まさか何か手を加えたのではあるまい?」
「手を加えるってなんだよ。これが正真正銘、生まれたままの形さ」
「本当かよ」ダグラスが恐る恐る、無骨な指を伸ばして、《それ》の太もも部分に触れた。生白い体が揺れる。さらにウェストを、胸を、ちょんちょんとつつく。《それ》は当然のことながら、ただされるがままに身を委ねている。
「うーん、しかしこいつをどうするんだ?」ダグラスは感慨深げに、「しばらく鑑賞しているのも悪かないが……というより、『見る』てのを目的に買いたいって輩も、いたっておかしかないぜ。特に塔とかにはな。だろう?」
 隣に座っていたダグラスに話をふられ、ツァランが唸った。ここ《まだらの竜》亭のような下町の酒場に出入りしているが、ツァランは王立図書館で仕事をしている学士である(下っ端らしいが)。ダグラスの言った「塔」とは、ここヘプタルク王国の学問機関、《緑橄欖の塔》のことで、王立図書館と同じ界隈に建っている。哲学だの、芸術学だの、政治学だの、錬金術だのを研究する博士がわんさかいる場所と聞く。他方のダグラスは、ツァランの同居人ではあるが街で用心棒などをしながら生計を立てている男で、市壁のすぐ外の村に暮らす農夫であるデューラムと同様、学者や博士といった人種については明るくない。
「まあ、いるだろうな。鑑賞を兼ねた研究教育用ということになるがな……」ツァランは大ジョッキのエールを一口飲んで、「ぼくが見たことのある多種多様な標本と比べても、こいつはもっとも完成されていて、奇抜で目をひくものだぜ。学生に見せて印象づけるには格好の素材だな」
 言いつつ、ツァランは《それ》の脚から生えた毛を指でつまんで、しなやかさを確かめるようにしながら、「とはいえ、どうせ学者の持ち金なんぞ大したことはない。塔の博士なんぞに売るよりは、よほどいい取引先が他にあるはずだ」
「誰だ?」
「魔術師さ。魔術儀式のための呪具としては、申し分ないはずだぞ、これは」
「しかしなあ、売ってしまうのが勿体無いくらいだな」とダグラス。「大事に取っとけば、祭のたびごとに見世物小屋風に金を取って見せる、なんてこともできそうだぜ」
「見世物料金なんぞ大した金になるものか。ひょっとすると、魔術師によっては、塔の博士の100倍の値段で買うかもしれんぞ」
「だとさ」ダグラスは興味津々にデューラムの顔をのぞきこんだ。「で、どうするんだ?」
 デューラムは肩をすくめた。「どうもこうもあるものか。食うのさ」
 ダグラスとツァランは顔を見合わせた。
「本気か?」とダグラス。
「当たり前だろ。標本だの呪具だの、見世物だの、面倒臭いし馬鹿馬鹿しい」デューラムは、自分が酒場に持ち込んだ《それ》の葉っぱをつかんで風呂敷から持ち上げた。「食うんだよ、だってこれは野菜なんだぜ」
 残りの2人は少しの間、沈黙した。
 ツァランが腕を組む。ダグラスが自分のエールを一口飲んで、
「まあ、確かにこいつは白にんじんだが」と言った。
 3人が今集っている《まだらの竜》亭は人気の酒場ではあったが、今はまだ開店直後の昼すぎで、客も少ない。3人が黙ると店の中がずいぶん静かになるようだった。彼らが座っているのは窓際のテーブルで、窓から差し込む明るい光のもと、《それ》——偶然にか人の形に育った白にんじん——の葉っぱは青々と輝いていた。
 それにしても見事な造形である。中央より少し上にウェストのようなくびれがあるのがとりわけ珍しい。このくびれのために、その上のふくらみが、まるで女の乳房のように見えるのだ。くびれの少し下あたりから本体が二股に分かれていて、その二本が太さも長さも均等であるさまも、また人間の二本の脚を思わせて、見事、かつ不気味である。さらに胸のふくらみの横からは、腕を思わせる細い根がごていねいなことに左右に一本ずつ生えていた。頭と首に相当する部分はない。だが、ふさふさと生い茂った葉は髪の毛のように見え、豊かな髪に顔が覆い隠されているだけのように見えないこともなかった。
 もともとこれは、デューラムの家の横の小さな畑に生えてきたものだ。昨年白にんじんを植えていたところから、季節はずれの時期にモサモサと葉っぱが出てきたな、とデューラムは最初思ったのである。白にんじんは普通、夏から初冬にかけて収穫する野菜である。今の季節は春で、春分が数日前に過ぎたばかり。これから少しずつ花が咲き始め、暖かくなるような時期である。そんな季節外れの野菜はどうせ美味しくないだろうから、放っておくつもりだった。だが葉があまりに立派に茂っているので下を掘ってみたところ、この《美女》にご対面したというわけである。
「こういうの、実はしょっちゅうできるのか?」とダグラス。
「いーや、初めてだ」デューラムはかぶりをふって、「先が二股に分かれてるのくらいならよくできるが、さすがにここまで見事な人間の形は見たことがなかったな」
「……伝承では、こういう野菜は墓に——とくに、罪人の墓から生える、などと言ったりするのだが、そのくちか?」とツァラン。「きみはその意味を十分認識した上で、食うと言っているんだろうな?」
「墓は村の反対側のはずれだぜ。何を怖気付いたこと言ってるんだ、ツァランらしくもない」
 そう言いながらデューラムは、そういえば家の近くに家畜やペットの墓が集まった場所があるな、と思い出したが、話がややこしくなりそうなので黙っておくことにした。確かにおそらく、デューラムは多少、自棄になっていて、とにかくこれを食べてしまおうという、それしか考えていないのだった。
「まあ、そもそもが土なんて動物植物の死体の塊みたいなものだがな……」とツァランは歯切れ悪く、「しかし、たとえばクリッサあたりでも高く買いそうだが……彼女には聞いたのか?」
「聞いたさ」
「で?」
「銀貨2枚、だとさ」
「大したことないな!」ダグラスが大声で言う。
「普通の白にんじんが4、5箱ってところか」ツァランが眉を寄せる。「確かに存外に安いな」
「安いぜ! おれは毎日野菜を相手にしてるわけだが、こんなもの生まれて初めて見たぞ。ある意味金貨より価値が高いってことだろう。金貨は見たことがあるんだから」とデューラムは屁理屈をこねた。確かに、銀貨1枚あれば、そこそこの食事と酒を楽しんで帰れる。泊めてくれる宿も多いだろう。通常の白にんじんであれば、それよりはずっと安い。
 だがこれは普通の白にんじんではない。どれほどの珍品であるかをクリッサが本当にわかっているのか、デューラムには疑問だった。
 クリッサは彼らの飲み仲間の一人である魔女見習いで、彼女が「師匠」と呼ぶ人間の持ち物であるらしい古ぼけた屋敷で家事手伝いのようなことをしている。デューラムはその日の昼前、中心街に着いて、まずクリッサのいる《大魔法使いの古屋敷》を訪れていた。屋敷には最近クリッサが飼いだした九官鳥がいて、時代がかった装飾に飾られた大きな金色の鳥かごの中からキョロキョロ外をのぞいていた。しかし誰の口癖を覚えたものだか、「カイショウナシ! カイショウナシ!」だの「ソコツモノ! ソコツモノ!」だの罵倒ばかり口にするので、デューラムはげんなりさせられた。クリッサが「銀貨2枚より多くは出せない」ときっぱり言い放ったあとは、ついに「オカエリクダサイ! オカエリクダサイ!」と叫び始めたので、デューラムも実に嫌になって、美女(型の白にんじん)を抱えたまま屋敷を後にしたのだった。
「どうもクリッサは、最近でかい買い物をして、金欠なんだそうだ」デューラムは言った。「こいつをものすごく欲しがってたのは確かだけどな。媚薬にしたり、精力剤に使ったり、美人や美男になる薬だとか若返りの薬だとか、あとなんだったかな、この倍くらい言ってた気がするが……。とにかく、もう、そりゃたくさんの薬の材料になるんだとさ」
「それだけ欲しいんなら、ツケにするなりなんなりすればいいのに」とダグラス。
「あいつは魔女なのかなんなのか知らんが、生活感が溢れすぎてるからな。経済勘定が慎重にできてるんだろう」ツァランが応ずる。
「ともかく、今日呼んだのは、こいつを食おうぜという、そういう趣旨なんだ」デューラムは面倒臭そうに言った。村はずれに住むもう一人の知り合いであるイザクにも声をかけようと家まで行ったのだが、いなかった。もう、この二人とさっさとことを進めてしまいたいのだ。「こんなにいい女なんだ、1人で食っちゃもったいないだろ?」
「きみにしちゃ珍しく下品な台詞だ」とツァラン。「アルマが聞いたら数日口をきいてくれんぞ」
「エーリーンなんかに聞かれれば、仕返しにこっぴどくイタズラされるぜ」とダグラス。「まあ、会心の出来だと思ったものを買いたたかれて自棄になる気持ちはわかるが。しかしなあ、食って大丈夫なのか」
「ぼくは乗るぜ」と、これはツァランであった。「魔女が舌なめずりするほど希少性の高い、肌の白い美女をじっくり味わえるというんだから、多少のリスクはつきものだろう」と、腹をくくったのか、にやにやとそんなことを言う。そもそもこの下品な学士には、デューラムの軽口をたしなめる資格などこれっぽっちも無いのである。
「白にんじんということは……スープか? シチューか? いや、それじゃせっかくの美ラインが拝めなくてつまらない」とツァランは顎を掻き掻き、「ローストだな」
「美ラインはともかくおれもローストがいいと思う。せっかくだからじっくり味がわかるように料理してやる」デューラムは言うと、横の袋をごそごそやって、大きな紙包みを二つ取り出した。「こいつと一緒に……焼いてやろう。山鳩だ。二羽あるぜ、三人ならたっぷり満腹だ」

 そんなわけで三人は、ダグラスとツァランの家にやってきたのである。市壁の中でも下町の、小さな住居がごちゃごちゃと立ち並んだ猥雑な地区にある家だが、近所には味のいい加工肉屋やパン屋が立ち、革製品の屋台や大道芸も出ることがあって、なかなかどうして生活の質が高い。デューラムも街まで畑の野菜を売りに来るときには、このあたりに荷車を停めて商売することが多い。住民の目はなかなか肥えていて、鮮度のいい、美味そうな野菜からあっという間に売れていく。
 もともとここは、ダグラスが長く住んでいた界隈である。ちょうど前の同居人が退去して新しい人間を探していたときに、ヘプタルクに新しくやってきたツァランと酒場で出くわし、意気投合したということらしい。
 がさつに見えて、ダグラスは以外と器用でもある。デューラムが渡した山鳩の羽を手際よくむしりながら、
「うまそうな山鳩だな、よく太ってる。しかし二羽とは奮発したな、デューラム。懐は大丈夫か?」
「たまにはな」とデューラムは返した。実のところ、白にんじんを売らずに自分で食べ、しかも山鳩まで買っているのだから懐具合は結構な赤字なのだが、まあこういうこともたまにはある。
「では太っ腹のきみのために、こちらはとっておきの赤葡萄酒でも出そう」とツァランは戸棚をごそごそやっている。「先だって塔の晩餐会からぱくってきたのがある。評議員の出る晩餐会に潜り込んで取ってきたのだから、なかなかいいもののはずだぜ」
「しかしなあ」ダグラスが隣に立つデューラムを見て、怪訝そうな、不安そうな、独特の表情を浮かべる。「やっぱり、なんだか呪われそうだな」
 片手に白にんじんをぶら下げ、片手に包丁を持ったデューラムは、肩をすくめた。「なんだよ。精力剤になり、美男にもなれて、若返りだってできる薬だぜ。何を躊躇うんだよ」
「いやあ、そこまで行くとなあ、逆に毒っぽくないか」
 ダグラスはもごもごと、「100に1つの確率で超絶美男になるが、残りの99の確率でぽっくり逝っちまうとか、そういうんじゃないんだろうな」
「足をちょん切るのか? それとも腰か?」と、複雑な装飾の入った(じっさい高価そうな)焼き物の葡萄酒の瓶を手に、手元を覗き込んでくるのはツァランである。「数日後に、薪割りにうっかり失敗して同じところを斧でちょん切られる……とか、いかにもありそうな話だな」
「全然ありそうじゃねえや。薪割りに失敗して腰をちょん切られるなんて、どういう体勢ならそうなるんだ」
 デューラムは悪態をつきつつも、エイっと思いきって白にんじんに刃を入れた。ウェストの部分である。スコンと意外に大きい音がして、思わず首をすくめる。
 が、一度切ってしまうと、かつては妙なる美女だったものも、ただの白にんじんにしか見えなかった。隣のダグラスがほーっと息をつくと、肉の処理に戻っていく。
「肉に牛乳なんてかけるんだな」と、デューラムはダグラスの手元をのぞきこみつつ言った。
「臭みが抜ける。うまくなるぜ」とダグラス。「とくに内臓はな。今度ためしてみろよ。野菜も一緒にこのまま少し浸けておこう」

 そうして下処理が済むのを待つ間に、案の定、酒盛りが始まった。まだ日は高いが、ダグラスもツァランもまったく気にしているようには見えない。ツァランなど、今日最初に声をかけた時には、明後日〆切の仕事があるなどとブツブツ言っていたような気がするが、今はそんな話はすっかり忘れてしまったと見え、腰を据えて飲む気が満々の様子である。
「しかしアルラウネ、別名マンドラゴラだが、あれに限らず人型をした植物には、さっきも言ったように媚薬に使えるだとか死んだ人間の体液を養分にして育つとか、様々な逸話がある」と、ダグラスお手製の麦どぶろくを飲みながらツァランが言った。「どうやら、その気になれば人造人間さえ作れるらしい。クリッサから借りた『魔術の実践』という本で、そう読んだことがあるぞ」
「なんでそんな本を借りているんだ。お前、学士をやめて魔術師に転職するのか?」デューラムは聞いた。
「クリッサに弟子入りするのか」と、ダグラス。
「あんな、いつまでたっても半人前な魔女に弟子入りなどするものか」とツァランは友人を悪し様に言うのである。「黒魔術について少し調べる必要があったんだ。クリッサの師匠は王立図書館も所蔵していないような本を大量に持っている……前にも言っただろう?」
 全く記憶になかった。
「やれやれ、シラミのような記憶力の奴らだな、話がいもない」と、ツァランはため息まじりに今度はデューラムらをなじった。「このアルラウネにんじんが、精力より先に知力を増強してくれればいいんだが」
「朝から晩まで訳のわからん話ばっかりしてるお前にも、そっくり同じ言葉を返すぜ……と、」ダグラスが立ち上がって台所に向かう。「そろそろいいかな」
 いつの間にか漬けこみのための時間も過ぎたと見え、ダグラスが天火(オーブン)に火を入れた。牛乳に浸かった白にんじんと豆をざるにあけている。肉と野菜に岩塩や香草を揉みこみ、油を塗るのを、デューラムも手伝った。
 それから肉と野菜が焼き上がるまでの一刻ほどの間を、3人はふたたび飲みながら待った。少しすると、若干野生的なくせのある、だが食欲をこの上なく刺激する香りが家中に漂ってきた。肉汁と香草と香味野菜の匂いとが混じりあった、えも言われぬ香りである。
 焼きあがった山鳩は脂が乗っており、肉のくせがうまい方向に引き出されていて、素晴らしい味だった。ツァランの開けた重厚な赤葡萄酒との相性は抜群だった。牛乳がえぐみを消してくれたのか、肝も絶品で、クリームのような濃厚さが前面に出ている。正直、これまで食べた山鳩の中では一番かもしれない。そう言うと、ダグラスは照れた表情をして、なんの、素材がよかったのさ、と言った。
 そして白にんじんである。これもまた、驚きの味だった。特に食感にかみごたえがある。じっくり焼くと野菜もこうなることがある、とツァランが言ったが、それにしても野菜とは思えないような旨味だった。カラメル状にこんがり焼けた玉ねぎのスライスが絡んでいるせいか、あるいは肉汁がしっかりと染み込んだためだろうか。
「この山鳩がうまいせいかもしれんが、それにしても、まるで何種類もの肉の汁が染み込んだような旨味だな」とダグラスが驚きの声で言う。
「確かに絶品だな。中心に固い筋が少しあるが」と、フォークで皿の上の野菜をつつきながら、ツァラン。「これは形からすると、二股に分かれた脚の部分だと思うが。芯……と言うか、まるで軟骨のようだぜ」
「おれのところのは、真ん中が少し茶色くなってるなあ」とデューラムもにんじんの断片を覗き込んだ。「育ちすぎて、真ん中に鬆(す)が入ったかな。なんだかどろっとしてる。いや、ダグラスの言ったとおり、まわりは美味いんだけどな。白にんじんの香りは強くするけど、食感と旨味がすごいよな」
 と、そんな会話を交わしながら三人は食事を堪能した。赤葡萄酒を傾けながら味わっているうちに、肉も野菜もすっかり平らげてしまったようである。ダグラスが「ああ、美味かった」とため息をついた。デューラムも満足で、先ほどの自棄っぱちな感情は、もうすっかり忘れてしまっていた。
 だからであろう、そのままこの食事のことは良い思い出としておけばよかったのに、デューラムはいつもの好奇心に思わず負けて聞いてしまったのだ。「なあツァラン」
 食後のブランデーを一口すすり、ツァランが「なんだ」と言う。
「さっき、人型をした植物から人造人間を作れる、なんて言ってたろ。いったいどうやるんだ?」
 聞いたところで何をどうするわけでもない。そもそも彼はただの農夫だ。だが、魔法とか怪物だとかいう、この手の話題に対し、いつも不要な好奇心を持ってしまう。それが災いすることも、ままあるのだったが……。
 ツァランは思い出そうとするように眉を寄せた。「確か、最初は引っこ抜く時期に注意するんだったかな……。春分のすぐ後の月曜日か何かだった。それから、だれかの墓の横にもう一度埋めて、30日の間、牛乳をやりつづける。31日目の深夜にそいつをもう一度抜いて、ヴェルベーヌと一緒に天火(オーブン)で焼く。焼きあがったら、死人を包む覆い布で包んで出来上がりだ」
「それで人造人間になるのか?」
「数日経つと、言葉をしゃべりだしたり歩き出したりするらしい」
 デューラムは感心した。「人造人間てのは意外と簡単にできるんだな。普通の牛乳でいいのか」
「確か、二匹の蝙蝠を溺れ死にさせた牛乳だったかな」とツァラン。
 どうにも奇天烈な話である。
「しかし、天火で焼くなんて、普通の料理みたいだな。ええと、何だって? 春分の少し後に地面から抜いて、墓の横に埋めて、牛乳をかけ続けて、それからヴェルベーヌと一緒にオーブンに入れる…」と、呟いてデューラムははたと気づいた。ツァランの顔を見る。
「……いや、まさか」ツァランが目をしばたいた。ほぼ同時に同じことに思い至ったらしい。「きみはいつあの白にんじんを収穫したんだ」
「3日前だ」
「今日は木曜日、ということは……収穫は月曜日か。そして春分はちょうど七日前だから、春分の直後の月曜日……」ツァランが若干の動揺を見せている。「そんなはずは……」
「待て。ヴェルベーヌはかけてないだろ?」
「いま家にあったのは、確かセージとローズマリーとこしょうと……」と、ツァランは指を折って数え上げてから、台所の方に首を伸ばして声を張り上げた。「ダグラス!」
 空になったどぶろくを詰めかえるためにしゃがんでいたダグラスが、何だ、と台所から顔を出す。
「おまえ、まさかさっきの料理にヴェルベーヌを入れてないだろうな」
「何だ、まずかったのか? 干からびかけてたからすっかり全部入れちまったぜ」とダグラスは眉を下げ、「とっといて欲しいのなら、あらかじめ言っといてくれ」
 デューラムとツァランは困惑した視線を交わした。
「牛乳は……かけていたな」とツァラン。
「臭み消しに、漬け込んだよ。昼からだから、…3刻くらいか」
「二羽の山鳩の沈んだ牛乳にか。蝙蝠でこそないが」
「蝙蝠と山鳩なら全然違う!」デューラムは懸命に言った。「30日も漬け込んだわけじゃない、たった3刻だ。それに最後に、死体を包む布なんかで包んでない!」
「確かに、魔術というのは概して、厳密に作法を守らないと成功しない」ツァランは重苦しく言った。
「だが細部を間違えたり省略した場合に、何も起きない訳では、必ずしもないんだ。そうした場合、魔術の結果は予期せぬ方向に発動したり、あるいは…未完成の効果に終わったりする」

 いくつもの肉を混ぜたような複雑な旨味がある、というダグラスの言葉をデューラムは思い出す。そりゃあ、美味い野菜だって旨味はある。だがあの噛みごたえと風味は、確かに野菜の域を超えていた……
 ではあの、普通白にんじんにはないような、やけに固い「芯」は、骨になりかけの組織だったとでも? そしてあの、中央の茶色く柔らかいものは、腐っていたのではなく、まさか、未発達の内臓……?

 どぶろくを瓶に入れて戻ってきたダグラスに一連の懸念を伝えると、ダグラスはしかつめらしい顔つきで、「おれは野菜の味だとしか思わなかったぜ。肉の旨味が云々と言ったのは、ものの例えだ。肉の味とは似ても似つかなかった」と断言した。しかし、先ほど上機嫌だった彼の口数が激減したところを見ると、デューラムらと同じ動揺を、彼もまた感じているらしかった。
 混乱した彼ら三人はその後は無節操な酒盛りに突入し、案の定、ひどい二日酔いになって翌朝を迎えた。昼頃に起き出したデューラムは、頭痛があまりにひどいので、薬を買おうと帰りがけにクリッサのところに寄った。
 玄関先に置かれた鳥かごの中で出迎えた九官鳥は、この日は驚いたことに「ヒトクイ! ヒトゴロシ! ヒトクイ! ヒトゴロシ!」と叫び続け、デューラムを狼狽かつ辟易させた。頭痛薬を持って出てきたクリッサは「なあにどうしたの。わたしにはこんなこと言ったことないわよ」と目を丸くした。
 のちに聞けば、《大魔法使いの古屋敷》に行ったダグラス、ツァランも同じ目にあったそうである。あの時居合わせず、にんじんも食べなかった他の友人たちが同じような罵声を浴びせられるのかどうかは、あいにく未確認だった。が、それ以上何かを突き止めるのが、デューラムにはどうにも不気味で仕方なかった。
 以後、彼ら3名の間では、その日の料理の話題はずっと封印されている。





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