バンシーについて覚え書き ・簡単なメモです ・バンシーはアイルランド、スコットランドに伝わる女の妖精である。誰かが死ぬまぎわ、死者の家の近辺に出没して鋭い声で泣き叫ぶと言われている。 ・アイルランド語でBean Siとなり、Beanが「女」、Si が「妖精」を意味する。ケルト由来の古スコットランド語ではBean Shith 。 ・Siすなわち「妖精」は、起源をさかのぼれば「丘(mound)の人」という意味をもつ。彼らはもっぱら丘の下の地下王国に住むと考えられていた。ただし、海を越えた常世の国の住人であると伝えられる例も多くある。 ・アイルランドの「妖精」は、文芸作品によっては半神(deity)的な要素を強くもつ、トールキンのエルフすら思わせる存在として描かれる。しかし民間伝承の中では、日本の妖怪のように「自然現象」や「集合的な感情・儀礼」(悼み、嫉妬、豊作の喜び)を体現するものも多く、あまり一定しない。バンシーは後者の妖怪風な妖精のなかに入る。いずれにせよ、日本のRPGや幻想絵画などで描かれるような19世紀ヴィクトリアンな昆虫の羽のはえた「フェアリー」とはだいぶん違うイメージである。 ・ある言い伝えによれば、バンシーは有力で伝統ある家にしか現れず、それはアイルランドの伝統的な四つの氏族(豪族)、オニール家、オブライエン家、オコナー家、オグラディ家に限られているという(これにカヴァナー家が含まれる場合も)。 ・別の言い伝えでは、この四・五家には限られないが、やはり有力な家に出るとされている。したがって、バンシーの出没した家は、それを誇るべきと言われる。(座敷童みたいだ……) ・バンシーは故郷を離れた人間が遠くで死んだ場合にも、その遠方の死を故郷に伝えると言われている。アイルランドは数百年にわたって世界中に移民を排出しつづけてきた土地である。言い伝えの背後にはそういう歴史的な事情もあるのかもしれない。どんだけアイルランド移民が多かったかというと、「世界中どこに行っても中華レストランとイタリアン・レストランとアイリッシュ・パブだけはある」と言われるほどである。 ・まあ、これは三つの移民集団がみな自文化に対して自信やこだわりをもっており、新しい土地に自文化を移入しようとしたということのあらわれであって、必ずしも移民の「数の多さ」を示さないのだが、いずれにせよ、中華系移民、イタリア系移民と並んで、アイルランド移民というのは世界的にその歴史的な重要性が認知されているということだ。 ・バンシーの外見についての言い伝えは様々だ。若い女とか老婆だとか、灰色の服を着ているとか、緑の服を着ているだとか、緑の服の上に灰色の上着を羽織っているとか。髪の毛も銀髪であったり金髪であり、黒髪であったり、色々である。 ・民俗信仰ではよくあることだが、バンシーの言い伝えの多くは、他の妖精信仰が混じっていっしょくたになったものである。たとえば、ある言い伝えではバンシーは銀の櫛で美しい髪を梳いていると言われるが、これはアイルランドの人魚伝承とごっちゃになっているのでは、と推測されている。 ・この「銀の櫛」の伝説は、アイルランドの別の言い伝えと混じっている可能性もある。もし道路に櫛が落ちているのを見かけたら、けして拾ってはいけない、もし拾えば女の妖精に魂を抜かれてしまうだろう、櫛はそのための罠なのだ、というものである。 ・ひょっとすると、このバンシーの伝承と、世界の他地域に見られる「哭き女(泣き女)」の風習とを比べると面白いのかもしれない、と思う。 ・「哭き女」とは、ご存知の人も多いだろうが、葬式にやってきて大声で死を泣き叫ぶ女たちである。多くは死者の親戚ではなく、「泣く」パフォーマンスのために雇われるプロである。身近なところでは中国、韓国の一部で見られ、日本でも地域によってはこの風習があるという。エジプトなど中近東でも事例がある。 ・この「哭き女」の風習を支えるのは、「ちゃんと誰かに泣いてもらわないと家族もきちんと生死の別れができないし、死人もあの世に旅立てないし、近隣の他の家に対しても『たいしたことのない家だったんだ』という印象を与える」という考え方である。したがって、半分は見栄である。このへんも、「有力な家にしか出ない」バンシーと似通っている。 ・ネットをだらだらと見て回っていると、このバンシーの伝承が、「ジプシー」(注1)と呼ばれる人びとの風習を元にしている、とする説に出くわした(「怪物森羅万象」さん参照のこと)。自分はこれを読んでホントかなあと感じたが(スイマセン)、少し考えてみると、なかなかどうして信憑性がないわけではない。 ・ひとつには、バンシーの髪の色である。アイルランドのケルト由来の伝承において、妖精の髪の色は「fair」(金髪、薄い色)と記されている事が多い。だが上記のように、バンシーのなかには黒髪のものも多いのだ。黒髪とエキゾチックな褐色の肌は、ジプシーの典型的な容貌とされる。したがって、ジプシーの泣き女のイメージと、ケルトの妖精のイメージが混じり合っているとすれば、バンシーのてんでばらばらな容貌の説明にはなっている。 ・さらに自分が気になったのは、ジプシーの由来である。ジプシーはよく知られるように非定住民であり、馬車でヨーロッパの各地を回りつづける生活を送ってきた。そのせいもあって、彼らは「自分たち自身の歴史を記す」習慣をほとんど持たなかった。したがって、ジプシーの「起源」についてはあまりよくわかっていない。ひとつの有力な説として、「エジプト由来」というものがある。実のところジプシーという語そのものが、「エジプトの」という語に由来する(gypsyはEgyptianの短縮型)。まあ、「ジプシー」は部外者が彼らを名指すための蔑称であるので、この命名にどこまで信憑性があるのかは疑わしい。けれども、ジプシーの民らが使う言葉は、言語学的にはエジプト語に近いとする説もある。 ・すなわち、自分はバンシーがジプシー由来であると聞いて、エジプトの「哭き女」の風習を思い起こしたわけである。古代よりエジプトで行われていた「哭き女」という葬祭の風習を、ジプシーたちが流浪の生活を送るようになった後も引き継ぎ、ヨーロッパを巡るなかで各地に伝え、もともと「死を告げる女」の民間伝承をもっていたアイルランドやスコットランドの文化と融合したのだ、とも考えられる。アイルランド、スコットランドのバンシーの伝承すべてがジプシーの哭き女を直接描写したものであるとは、私は思わない。そもそも、これらの土地では大陸ヨーロッパほど「ジプシー文化」の影響が強くない(注2)。むしろ、人びとが遠くで聞いたジプシーのイメージが、人から人へと伝わり、漠然とあいまいになって、やはりあいまいな地元の妖精の噂と混じり合っていった、というのが正確なところではないか。 -------- 注1 以後、とくに断りなく「ジプシー」の語を用いるが、念のため記しておくと、この語は歴史的にヨーロッパの民から彼らに向けられてきた蔑称である。よりポリティカルコレクトな(政治的に正しい)用語としては、彼らの自称である「ロマ族」あるいは「シンティ族」という語が推奨される。これには一理あるのだが、問題は「ジプシー」と呼ばれてきたのが「ロマ族」「シンティ族」に限られないという事情である。厳密にいえば、「ジプシー」は個々の民族というよりはヨーロッパを放浪するエキゾチックな「流浪の民」のイメージ全体をさす語であり、彼らの文化全体をさす語なのだ。この差を意識するがゆえに、私は本文中であえて「ジプシー」の語を用いている。 わかりやすい例を出せば、北アメリカの「インディアン」という概念は、蔑称であると同時に白人の間にパラドクシカルな憧れを惹起してきたものである。この概念と、より正しい語である「モヒカン族」「ヨワイ族」などとの間には概念の上でズレがある。後者で前者を言い換えてしまうと、たんに歴史的なイメージの歪みを覆い隠すだけになってしまう。「ジプシー」という語にも似たような事情がある。乱暴な例だが、うまく伝わっただろうか。 注2 アイルランド、イングランド、スコットランドにも「ジプシー」と似た生活を送る民がいるが、彼らは「トラベラー」と呼ばれ、「ジプシー」とは異なる民族であると自称している。ただし、ある程度の文化的・血縁的な交錯が大陸ヨーロッパの「ジプシー」とあった可能性はある。 -------- |