コラム
妖精論・試論
フェアリーの語源とかエルフがどうこうとか
エルフについては色々な議論がさかんだが、フェアリーやフェイの語源や概念の変遷については日本語でまとまった論を読めるウェブページが少ないようなので、以下に少々記しておく。
「妖精環」で出てきたfataはイタリア語で妖精(複数)、ラテン語としては「運命」fatumの複数形で、しばしばかの「運命の三女神」をさす。すなわちギリシャのモイライMoirai/Moerae(クロートー、ラケシス、アトロポス)あるいはローマのパルカエParcae(ノナ、デキマ、モルタ)である。このfateこそが妖精(フェアリー、フェイ)の語源とされる語である(Oxford Dictionary of English およびThomas Keightly, The Fairy Mythology , 1828)。fataの単数形fatumはもともと「語られたもの」という意味をもち、「話すfari」からの派生語。
なお、知っている方も多いと思うが、フェイfayは妖精を示す語でフェアリーfairy(古い綴りでfaery)とほぼ同義。やや文語的で、詩などの文学作品で多く用いられる語である。これらfairyあるいはfaeryは語源的には古フランス語のfaerieに、fayも同様に古フランス語のfae/faieに由来するのだが、それらのさらに語源とされるのが、ラテン語のfataなのである。
ファンタジー領域では、さまざまな名前の「妖精」「精霊」をそれぞれ分類しようとする傾向もあるようだが、私見では「エルフ」「フェアリー」などよく知られた語について、通社会的・通時的にあてはまる定義というものは存在しない。文芸作品などの古今の歴史をたどれば、体長10cm〜30cmとかの羽の生えた小妖精も、人や家畜にわざわいをなす悪鬼的な妖精も、人間とほぼ同じ姿をしている神秘的な森や泉の乙女も、すべてエルフともフェアリーとも呼ばれうる。何をエルフと呼び、何をフェアリーと呼び、何をピクシーと呼び、何をノームと呼ぶかは、それぞれの文章が書かれた社会文化的背景と、著者の好みや意見によってさまざまである。RPGのような領域では、それぞれの生き物の性質は「ルール」として定義されなければならないことが多いのだろうが(でなければゲームが成立しない)、文化史の観点においては、そうした定義を行うことは難しい。また同様に、「エルフはゲルマン系なのでコレコレこういう種族」というような、「起源」にひととびに遡ってのカテゴライズも、複雑な文化の歴史的変遷を無視ししがちなので、絶対の定義とはなりえない(むろん、こう書いたからと言って、それぞれの作家が自分なりの世界を作るために「エルフはこう」「フェアリーはこう」と定義するのを否定するものではない。ただ、それは他の時代や他の作者の作品には通用しない定義であることに注意しよう、と言っているだけである)。
結局、生き物はすべて「種species」あるいは「種族race」としてその体型・性質を分類可能、定義可能であり、またそれらはみな種族を再生産する繁殖システムを有している(分裂にせよ雌雄交合にせよ)、とするような見方は、近代以降、生物学の基本知識が多くの人びとに共有されるようになってはじめて支配的になったものにすぎない(注1)。実のところ、色々な物語や民話を見れば、フェアリーとエルフどころか、妖精も悪魔も精霊も魔女も人間も、時と場合によって被ったり、ズレたり、同じ物になったり、正反対のものになったりと、様々なのである。
したがって、西洋の妖精観を理解するために重要なのは、エルフやフェアリーの姿や分類についてどれが「もっとも正しく、伝統的で、適正な」定義であるかを論じることではなく、むしろ物語や伝承に登場する妖精の類型を追っていくことではないかというのが私の意見である。
トマス・カイトリーが『妖精神話学』で行った分類は、乱暴なものではあるが、少なくとも「フェアリー」という語と概念の発達を理解する上ではわかりやすい。彼は妖精を以下のように二つにわけて考えた。
(A)騎士道ロマンスや英雄伝説に見られるような「神秘的・魅惑的な女性」
(B)それ以外(民俗文化における小妖精的、小鬼的な生き物)
アーサー王伝説などに登場する乙女たちはこの類型Aのほうで、これは妖女モルガン(モルガン・ル・フェイ)を考えれば理解しやすいであろう。ギリシャ神話のニンフもほとんど前者。逆に、バンシーだのレプラコーンだのというケルト系の精は後者である。後者の特徴は、人々の生活世界や日常経験での現象に密接に根ざしていることで、土俗の民間伝承における妖精はほとんどこちらである。日本の妖怪も、とくに物語的な起承転結をもたない口伝えの伝承に姿を見せるものについて言えば、多くはこのBに分類できる。たとえば柳田圀男の『遠野物語』に登場するのはみんなBばっかりである。
これらA、B、二つの例は理解のための「枠組み」なので、じっさいのところはこの中間であったり、両者の特徴を備えているようなものも多く存在する。とくに、文学者が民間伝承を引用したり脚色したりして物語をつくりあげた場合、口伝えの伝承においてはBであったと思われるものが、どちらかといえばAに近い姿で現れることも珍しくない。日本の妖怪の例をあげれば、「雪女」という怪じたいは吹雪と冷気を(形のみ)擬人化して想像したあやかしにすぎないが、それがラフカディオ・ハーン(あるいはその妻)の手を経ることで、愛憎や情、子どもへの母性という人間らしい温かみを吹き込まれ、人間と愛を交わす一人の「魅惑的な女性」へと造型された。結果『怪談』のあの有名な雪女とあいなるわけである。
ちなみに現代の多くのRPG風ファンタジーでは、「エルフ」がこの類型Aを部分的に引き継ぎ、その他フェアリーだのピクシーだの様々な名前は類型Bに割り当てられている気がする。だが、「運命の三女神」をさす語が「フェアリー」にまで発展する経緯において関係してくるのは、主にこの前者、類型Aのほうである。
さて、そもそも運命の三女神のイメージと「妖精」がもつイメージは現在ではかなり異なっているので、この語源については意外に思われるむきもあるかもしれない。たとえ現在の支配的な妖精像が、しばしば主張されるように近代にいたって著しく矮小化したものにすぎないとしても、妖精の「原型」すなわち近代以前に信仰の対象であったとされる自然神のイメージですら、たとえば『ファウスト』のクロト、ラケシス、アトロポスに見られるような、あるいは『マクベス』の三人の魔女に見られるようなイメージとはだいぶん離れている(いずれも女性と生命との結びつきを象徴するものというよりは、人智を超えた奇怪な存在で、形而上学的なかほりすら漂わせている・注2)。
では、なぜ「運命の女神」が「妖精」へと変化しうるのかということについてだが、これはfataの語で名指されるものが、時代を追うに連れ「運命の三女神」という固有名詞から単なる「女神たち」という一般名詞として広がり、さらにそこから「神秘的な女性」として一般化したという経緯のようだ。
この過程に関係している、あるいはこの過程を理解する上でわかりやすいと思われるのは、「運命の三女神」がもつ「生誕の祝福」という役割である。たとえばギリシア神話の中には、英雄メレアグロスが生まれたとき運命の三女神があらわれ彼の輝かしい将来を予言した、というエピソードがある。英雄を祝福する不思議な女性という要素は、その後、中世に発達した騎士道物語においても引き継がれた。中世フランスに生きたといわれる伝説上の英雄オジェ・ル・ダノワの物語においても、彼が生まれたときにその未来を予言する「fata」が現れている、という。
さて、ここにきて、現在も広く知られたおとぎ話のなかに、この「生誕を祝福する女神たち」とよく似たキャラを登場させるものがあるのに、気づかれた方はいるだろうか。
まさしく、『眠り姫』の十三人の妖精たちである。彼女らこそ、「運命の女神」の痕跡を残した妖精たちであり、それゆえに女神から妖精へのfataのイメージの変貌を伝える人物像にほかならない。邦訳によっては「魔女」「仙女」と訳されていることからもわかるように、彼女らは背中に羽虫や蝶のような羽がはえた小妖精ではなく、「神秘的な力を持つ美しい女性たち」、すなわち典型的に類型Aな「妖精」なのだ。彼女らは姫が数々の美徳をもった恵まれた女性として成長する将来を約束し、それをもって姫に祝福をほどこす。この「祝福の力」は、起源をたどればまごうことなく予言の力であり、運命を知る/支配する力にほかならない。
またまたトマス・カイトリーに戻れば、彼は中世のラテン語について、先に触れたfatum(運命)あるいはfata(運命たち)から派生したfatareという動詞が、広く「魔法をかけるenchant」の意で用いられていたことを述べている。ラテン語では過去分詞においてしばしば強調音節が省かれたことから、「魔法的なものthe enchanted」の意でのfae, feがラテン系の各語に広まっていったらしい。かくして「運命の女神(fata)」はしだいに「ふしぎな力を持つ女性」になり、「魅了の力をもつ美しい女性」となり、「英雄と恋に落ちる神秘的な女性(fae)」へと変化してきたわけだ。
確かにここからならば、われわれが今日妖女モルガンのようなイメージで思い浮かべる「フェイ」への道はたった一歩である。日本でもよく知られたフランス語の「ファム・ファタールfemme fatale」(運命の女)は、その魅力でもって男の運命を狂わすという意味でのものでもあれば、上記のthe Fatesの変遷とも関係しているのかもしれない。騎士道物語における女の神秘性はその女性性と直結したものであり、つねに「妖婦/毒婦」と表裏一体である。(マーリンの弟子であり恋人であると同時に天敵であるニムエはよい例ではないかと思うんだが、違うか?)
シェイクスピアやゲーテといった文豪たちは、こうした一般名詞となったfataではなく、哲学的含蓄のある古代神話の「運命の三女神」を素直に参照しているわけである。これが、彼らが双方ルネッサンス(「中世的」「ゴシック」な北方・中央ヨーロッパ由来の文化を否定し、ギリシャやローマの「古典時代」の文化へと回帰しようとする運動である)以降の人間であるがゆえの主体的選択だったってわけではないと思うがマクロな目で見れば関係ないとも言えんのかもしれないってかやべえ混乱してきた。
こうして「運命の女神」が「不思議な力を持つ魅力的な女性」となって一般化し、そうした人間なんだかそうでないんだかよくわからん乙女たちが「異界的な精霊」としてのイメージをより強めていき、そのなかでさらに類型Bの民俗信仰的な小妖精、悪鬼とも混合されていくわけだ。この混合の過程は、類型Aと類型Bの要素をあわせもったローレライ伝説(ライン川に住み美しい歌声で船や男を水底へと引きずり込む少女の伝説)のようなものを思い浮かべると直感的に理解しやすいだろう。かくしてようやく、こんにちの小妖精的な、あるいは「妖しい生きもの」の総称としてのフェアリーとあいなるわけである。もちろん、この過程においてはエルフやその他の語との混合がつねに起こっている。
この他フェアリーの語源としては、ペルシア語で妖精をさす語Periからの派生とする説などもあるが、上記ラテン語「運命」に語源をみる説のほうが支配的のようである。
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注1
独自の社会文化をもつ人間以外の高度に知的な種族じたいは古い神話においても見られるが、それらの種族はそれぞれの神話体系の意味の関連のなかに想定されるのであって、ドラゴンとエルフとフェアリーとノームとバンシーとセイレーンとサテュロスとユニコーンが確たる神話体系もなくなぜだか同じ世界のなかに存在していてさしたる脈絡もなく姿を見せるような、RPG風ファンタジーの世界観における生物学的な「種族」概念とはかなり違う。(しつこいが念のため。こう書いたからといって、私は後者を否定しているわけではない。むしろ場合によってはそういう作品を非常に楽しむこともある。)
注2
マクベスの魔女は一般に北欧神話系の運命の三女神(ノルニルnornir)と見なされているようだが、こうした近世〜近代の文学作品のなかでは、その起源神話の違いにかかわらず、ギリシャのモイライもローマのパルカエも北欧神話のノルニルも、みんなたがいに融合して一つの「運命の三女神」の像をなしていると言っていい。
(2007.12.24 一部加筆修正)
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