コラム
妖精の地下王国
『妖精環』において、エーリーンが妖精女王と地下王国の話をうんぬんしているが、こうした伝説は、アイルランドやウェールズなどのケルト文化圏においてよく見られるものであるらしい。本作で引用しているのはアイルランドの国民的作家として知られるW.B.イェイツだが、現在ケルトの神話や伝説として伝わるものの多くは、近代のナショナリズム運動や社会運動との絡みの中で再発見=再創造されたものであり、イギリス系アイルランド人であるイェイツは、そのケルティック・ルネッサンス運動を牽引した人物のひとりである。したがって、彼の作品には19世紀〜20世紀はじめの神秘主義・浪漫主義が色濃く反映されており、「古代そのまま」のゲール文化を伝えるもの――かようなものが存在するならば、だが――として読んではいけないことに、ここでは注意しておく必要がある。だが、それはイェイツ作品の文学性をそこなうものでは全くない。
『ケルトの薄明』の原語全文はProject Gutenbergにおいて読むことができ、またオンラインで読みうる和訳としては、ごく一部分の訳ではあるが芥川龍之介によるものが青空文庫に存在する。
ちくま文庫で全訳が出ているが、芥川の訳は(単に文体の古さと旧かなづかいによるものかもしれないが)イェイツの神秘主義的な側面を強く感じさせて、それはそれで良い。「妖精の国アイルランド」として世間一般に広がったファンタジックなイメージよりは、もっと退廃的、オカルチックな趣がある。(蛇足だが、英語原文は芥川の訳よりはもう少し淡々としている気がするのだが、まあ、それは置いとこう。)
平俗な名利の念を離れて、暫く人事の匆忙を忘れる時、自分は時として目ざめたるまゝの夢を見る事がある。或は模糊たる、影の如き夢を見る。或は歴々として、我足下の大地の如く、個体の面目を備へたる夢を見る。其模糊たると、歴々たるとを問はず、夢は常に其赴くが儘に赴いて、我意力は之に対して殆ど其一劃を変ずるの権能すらも有してゐない……
……等々。夢と集合的無意識と、いかにもユングっぽいじゃあないか(本当か?)。いかにも「黄金の夜明け」団っぽいじゃないか(本当か?)